自由詩時評 第55回 岡野絵里子

友人レミニッサンス

 1月20日の野村喜和夫氏の現代詩時評「詩の散文化に抗して」を読んでいて、思い出したことがあった。

 野村氏は「メタファーの組織は世界を別様なあり方のほうへとずらし、あるいはそのふたつをいわばパランプセプト化して、われわれをある種の眩暈の体験へと導く。」と書いておられ、パランプセプトという言葉がとても新鮮だった。それで連想が働いて、新しくやって来る言葉について考え、また「新しい言葉だと思ったら、実は古い友人で、その面変わりした様子に部妙な気持ちになった」時のことを思い出したのである。

 その古い友人というのはレミニッサンスという言葉なのである。時評なのに大変古い話で恐縮だが、この友人と再開したのは吉田文憲氏の文章だった。まずはその引用から。

 「高貝弘也詩集『敷き藺(い)』。するとここにも『箱のなかの箱となって』さらにレミニッサンスの『奥へと縺(もつ)れ込んでいる』奇妙な闇があるだろう。一行一行の『梁』や『柱』や『材』が複雑に入りんだ入れ子構造の家、時空。(中略)この『離れ、繋がっている』微妙な時空に、この詩人は吃音の火(ほ)をともし、いわば私たちには見えない隠された『私語』のきざし、気配だけをおいてゆく。物語と化した生誕の地に、幼年期のレミニッサンスの場所に懸け渡された、一幅の幻視スクリーンとしての『屏風絵』とこの詩集を形容してみてもいいだろうか。」(「箱の中の箱」)

 詩集評の一部分だが、吉田氏の文章も繊細鋭敏な詩のようだ。ここでレミニッサンスという言葉を置き換えて、「記憶の奥へ縺れ込んでいる奇妙な闇」や「幼年期の記憶の場所」にしてみると、何か大事なニュアンスが落ちてしまう。レミニッサンスは「記憶」だけでは掴み得ない陰翳をまとっているのである。それは林を通り抜ける影法師のように、私たちの中を見え隠れしながら通過して行く捉えがたい翳りのようなものだ。この詩集に限らず、高貝氏の詩には、草の間から立ち上がり、光をこぼす童子の姿を見つけることができる。童子は繰り返し現れ続け、眩しい映像となって読む者のまなうらに痕をつけていく。草々も染みていく。そして消える瞬間を誰も掴まえることができない。童子が再び現れることで、初めて消えていたことに気づく。高貝氏の幼年期は記憶としてあるというより、遠い記憶の痕跡として残っており、童子たちは失われた自身と故郷を追うように何度も立ち現れるのである。「レミニッサンスの場所」とは記憶の痕跡の場所なのである。

 レミニッサンスを記憶の痕跡と訳す文章は他にもあり、もう今日では定まったものになっているだろう。が、初めて遭遇した時には、それが追憶や記憶でありつつ、記憶したことで人の中に残る痕跡でもあることに私は驚いたのだった。

 なぜかというと、私は学生時代には心理学専攻で、レミニセンスという専門用語はよく使っていたからである。記憶は心理学の一つの大きな研究分野であり、当時は(今もかもしれないが)エビングハウスの保持曲線R=A−Blogt が人間の忘却と記憶の保持を表すとされていた。大変大雑把に言えば、人間は有意味無意味を問わず、記憶したものの約70%を間もなく忘却してしまい、約30%しか記憶は保持されない。この数字は若くて記憶力にも自負のあった学生たちを大いに訝しがらせたが、実験してみると、確かにその通りなのである。しかし、70%の記憶を喪失する過程で或る要素を加えると、被験者は脳内で海馬が情報を整理してくれたかのごとく記憶の保持率がいきなり上昇する。この改善現象をレミニセンスと呼んでいたのだ。いわば記憶の復活である。

 要するにそういうことなのである。「記憶の復活」と認知されて働いていた友人が、別の職場では別人のように「記憶の痕跡」という肩書きで働いていたのを見たので、微妙な気持ちになったわけなのだ。こういう再就職にまつわる肩書き、あるいは人格の変容はなぜ起きるのか。まさか(株)現代詩という会社の方針とか社風ということもないだろう。ただ、言葉は必要とされる方向、形に撓む。友人レミニセンスは望まれる役割にこたえ、成長しただけのことだったのかもしれない。

 詩の言葉は表現し得ない領域を表現しようとしているために、満たされず、いつも憧れていて孤独だ。人間によく似ている。よくいたわり、まとった陰翳の意味を理解してやらなければならない。そしてこの先はどこへ行くのか。それに答えるのは、100%の記憶を保持することより難しい。

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