自由詩時評 第59回  森川雅美

思考と手のリズム

「現代詩手帖」の最新の6月号は、「現代詩手帖賞」の特集だ。

当然といえば当然だが、掲載されているのは受賞者の作品。「オチ組」の私としてはたまには視点を変えて、「落選詩人特集」なんていうのもやってほしいと思う(笑)。「現代詩手帖賞」の違う意味での幅の広さが見えてくるのでは。

冗談はさておき今回の特集の特徴は、現在あまり名前を聞かなくなった詩人も含めて、幅広い世代の受賞詩人の作品が掲載されていることだ。1963年の第3回から本年度の第50回まで45人(連載の廿楽順治を含む)の、ほぼ半世紀にわたる作品が掲載されている。60年代が3人、70年代4人、80年代10人、90年代が7人、2000年代が16人、10年代5人といった内容である。当然のことながら2000年以降の詩人が21人と半数近くを占めている。80年以前になると受賞者の内、寄稿していないのは15人と掲載されている詩人の倍以上である。80年代では5人、90年代では5人、2000年代は1人であり、10年代はすべての受賞者が執筆している。今回原稿を寄せていない最も新しい受賞者は2000年の桑折浄一であり、それ以降はすべての受賞者の作品が掲載されている。

 山本哲也、清水昶、山口哲夫など知られた詩人以外にも、初めの頃の受賞者にはすでに故人も少なくないだろう。しかし、80年代以降になるとほぼ存命であろうから、様ざまな事情があり断言はできないが、今回寄稿していない多くはすでに詩を書いていないと考えて良いだろう。面白いのは80年代と90年代だ。寄稿していないのは同じ5人だが、80年代が15人中5人と1/3なのに比べて、90年代は12人中と半数近い。こんなところにも時代の自由詩に対する温度差が現れていて、90年代が小氷河期だったことが分かる。

全体を通してみると、全てとはいわないが時代が古い受賞者ほど、現代との距離がある。当然といえば当然かもしれないが、それが見事に現れているのは面白い。第3回の受賞者の矢崎義人と最新の受賞者の依田冬派の作品を並べてみる。

わたしが頭韻に記す「!」
あなたはわたしを胎動させる
連帯していく脚韻に終止符はなく
隠微な比喩の扉に身をひそめ
離れながらもつながる螺旋
対象のわたしたちの境界の模糊
あやつり人形の姿形になりきって

(矢崎義人「比喩の湿原では 詩の行方」部分)

無人のオートバイは、ぎりぎりまで車体をかたむけ、弓のような軌跡を描きなが
ら、峠をこえてゆく。きみはそれを痛苦とでも呼ぶつもりか。あれは加速する映写
機みたいなものさ。いまに青空でいっぱいになるはずだ。せいかつの曲線はたしか
に靴ひものようにこんがらがり、人々を地面から遠ざけている。
しかし、視界の高さをよろこぶことも、鳥の役目のひとつだ。

(依田冬派「季節の名前を云おうとしてきみは愛と云ってしまった」部分)

この2つの引用を見ると言葉の質の違いは明白だ。まず目に付くのは、前者は「わたし」という一人称が多く記されているのに対して、後者には一人称は記されていない。これは引用部分だけでなく、詩の全体に及んでいる。さらに言葉の意味も、前者が観念的な意味を強く帯びているのに対して、後者は観念的な意味は極力剥ぎ落としている。このふたつの差はどこから生じるのか。これは単なる言葉の問題ではなく、認識の違いといえる。前者はあきらかな自明の認識から書かれているの対して、後者はそのような自明性を信じては書かれていない。

そのことがより明確に現れるのは、「わたし」と「あなた」あるいは「きみ」の関係だ。前者は引用部分にも現れているように、「わたし」と「あなた」は明確な境界がある。「連帯」「わたしたちの境界」という言葉に、その距離を問おうとしている意図がある。一方後者は、先にも記したように、「わたし」という言葉はなく「きみ」も本文中で2箇所記されているだけだ。とはいえ、「きみ」という言葉は題名にも使われていて、詩の中でも大きな意味がある。書かれていない「わたし」は見て語るものであり、「きみ」はあくまで見られ語られる対象としてある。あるいは「きみ」は客体化された「わたし」、といってもいいのかもしれない。わたしの認識は自明でなく、書き出される言葉の歩行から始まる。それだけに、散文性を装いながら丁寧に壊していくところに、作品は成り立っている。

詩には様ざまな読み方があるので、あくまで私の考えなのかもしれないが、前者の言葉の思考と観念性にはあまりリアルを感じない。さすがに観念をそのまま書くのではなく、植物や昆虫を通すことで、肌触りや重み、生命の感触は出ているが、思考し書いていく主体のありようには嘘っぽさすら覚える。いま私たちは認識をこのような明確な輪郭として描けるか疑問なのだ。後者はそのような認識の自明性を、否定するところから書き始めている。思考するのではなく言葉の歩行が認識しようとするので、問いは常に未然形のまま継続されている。そのような2つの詩の骨格を支えるのは、筋肉としての言葉のリズムで、ここにもゆるぎない違いがある。前者が短い行を重ねることで、七五の律を保ちつつ規則的に進んでいくのに対して、後者は散文型を句読点で切断していくことによって、微妙なずれを重ねている。滑らかな思考のリズムと、躓きながらの手探りのリズムだ。

もちろん全て時代で捉えることは間違いだが、大まかに見て80年代前半までは思考と認識の調和が強く、現在に近づくほど2つの乖離が大きいように私には思える。先に引用した依田の作品は散文の構造を用いて、語りを制御しているので、むしろオーソドックスな方だ。最近の他の受賞者を読むと、より明確になる。このような点は「現代詩手帖賞」だけでなく、戦後の自由詩一般にもいえることだ。

全体を通してもうひとつ感じるのは、あるていど人目にさらされるところで、自由詩を書き続けてきた詩人と、長くそのような場に自由詩を発表しなかった詩人の違いだ。特に引用はしないが、受賞後も人目につく場に自由詩を発表してきた詩人は、受賞が古かろうと時代の中で言葉が流動している。現在との乖離は少ない。一方、あまり発表していない詩人は2000年以降でも、どこか古めかしさを感じさせる。総じていえるのは、後者はある時代の言葉のうちで止まってしまっている、という印象だ。

同誌に掲載された、まぼろしの詩人らしい帷子耀のインタビューに、時代に生き時代に消えた詩人の思考が典型的に現れているので、いくつか引用し終わりにしたい。

書きはじめのころは(中略)ある種の自慰行為みたいなものかもしれない。おもしろくて、とにかくずっと書いていたいみたいな感じ。でも結局、書いていくうちにいろいろ考えるようになって、それでだんだん書きにくくなった。

本人にはまとめるに値しない作品群だという思いがあって、だからいわゆる詩集は出さなかった。

だからそうやって自分を書きにくいほうに、どんどん追いやる。それで行き詰まったと思う。

多くはこのようなところを越えて書いてきた。評価射されて自意識が重くなるのか。若いうちに注目されるのも考えものである。

「現代詩手帖賞」の歴史から見えてくるのは、まさの戦後詩の言葉の変遷そのものだ。

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