自由詩時評 第73回 小島きみ子

女性詩人たちの夏

六月から九月にかけて、女性詩人の全詩集や現代詩文庫が届いて読ませていただいた。発行所はそれぞれに違うのだが、彼女たちの、現在までの創作の豊饒な成果がここに、現代詩として現象されたように思う。全詩集や選詩集となると、一九二〇年後半から一九三〇年代生まれの方々の詩集になる。今回の現代詩文庫の女性たちは、それより二十年から三十年くらい後の世代になる。ジェンダーを踏まえながら、時代の社会的背景によって彼女たちの詩は、社会言語の影響を受けていると思う。そうした方向からも読み解いていきたい。彼女たちの詩的日常と詩的非日常について探求してみようと思う。

1. 下村和子全詩集(コールサック社刊)

年譜によると、一九三二年兵庫県生まれの下村さんは、昼は大学、夜は演劇の生活をし、二十二歳のときのドストエフスキー作の「罪と罰」妹ドーニャ役で出演してから「罪と罰」は以後の人生のテーマの一つになったとある。詩を書き始めたのは「関西文学」同人となった一九七五年、四三歳のときから。一九八四年に発行した第一詩集「夜の海」から二〇一一年までの十一冊の詩集からの作品と、未収録作品を含めた三五八篇が時系列に沿って編集・収録されている。下村さんの詩集のそれぞれから選ばれた詩篇の最後に、その時の後書も収められていて、その後書の謙虚で清々しい言葉に、心を洗われる思いがする。詩人は、色彩感覚豊かで、「色を象る人」とも言われているが、それらとは少し違う鋭い社会観察眼の「平和の工場」を引用する。「ほんとうは平和なんです/工場長はすごくやかましいんです/仕事はまったくきついんです/ギャンギャンギャン/機械は単調でうるさいんです//工場の前に/うすのろの健さんの家があります/健さんはものが言えないんです//工場の帰りにみなは/健さんの頭を一発なぐります/その日によってその人によって/ゴツイびんたも/小さいびんたもあるんです//健さんは/いつもにこにこしています/痛いけど/やっぱりみなの帰りを待っています//健さんは/友だちがないんです//」(第一詩集「海の夜」より)

一九八四年発行の作品集の、現在とは違う時代の工場勤め人たちの、心の風景がここに描かれているのだが、人の心の奥底に潜むものが描かれていて、虐待されているのに社会と繋がっている、という感情に気づいて唖然とした。これを裏返すと日本人の社会性とか、連帯感とかも見えるような気がする。もっと突き詰めれば、フリークスであることの「高貴さ」に通じるものがある。「健さん」は知らずして、光あふれる人なのだ、と思う。「健さん」ほど、優れた愛の愚者はいない。親鸞は、(信)を求めて行く過程において「愚者になりたい」と言った。トルストイのメルヘン「愛のあるところに神あり」に通じる、「神」の存在が「健さん」だと思う。いまもなお、「健さん」は私たちの心の友だちなのだ。

2. 池谷敦子 選詩集「合図」(美研インターナショナル刊)

一九二九年、静岡県生まれの池谷さんは、二〇一一年までに十二冊の詩集を出版されていて、今回の選詩集「合図」は、それらの詩集から七七篇が選ばれている。池谷さんの詩の特徴は、日常を土台にしながら日常を離れた物語性にあると思う。選詩集は、詩集にタイトルがあるように時系列ではなく、新たに付された小見出しのイメージに沿って「合図」のように纏められている。池谷さんの物語性と、社会への批評がバランスよく表現されている「じる氏」の後半部分を引用する。「「少年」は/世に知られることのない自分に/苛ついていた/卸し金で指を擦るほどに/苛ついていた/「何者か」になるためになら/何でもしてやろう と思った//火を付けた/人が死んだ/―とうの昔 忘れられた事件だ//事件はまた生まれ/また また生まれる/いまは/無害安全となった生涯を 掌にたたみこみ/「せんせい」は/自爆を解き放つ/「少年犯罪の真相というものはですね・・・」/公演は終わった/熱気が扉から出てくる/―あーよかったわぁ いい話だった/積まれたサイン本を横目に女たち/―次 どこ行く?//」

この詩は、凶悪な少年犯罪が起きて世間が驚愕したときに発表されたと記憶している。事件とはまったく関係ない。

3. 鳥巣郁美 詩選集一四二篇(コールサック詩文庫vol.8)

鳥巣郁美さんは、一九三〇年広島県生まれ。一九五九年に第一詩集を発行してから二〇一〇年までに、十一冊の詩集と一冊の詩論・エッセイ集がある。詩と散文詩とエッセイによる、充実の詩選集。特に一九五九年刊の第一詩集「距離」のタイトル詩「距離」は、当時の時代背景から見ても、ひとりの女性の自立した主体が表現されていて優れている。散文詩では「蓮池から」が文字言語の香り立つ蓮池の周辺を表している。鳥巣郁美さんの詩の言葉の中に「凝結した心/それはひとつのしたたりを生むのだ」というのがある。長い詩篇で引用しないが、「黒蝶」という作品にはたいへんに惹きつけられた。黒蝶というのは、「空洞」と受け止められますが、これは「虚無」を意味しています。「時間のすき間で/びっしりと埋まった菜種畠の上を/とおく一匹の黒蝶が舞い上がってゆく」存在のありように向かってすすんでいく、いい詩です。

4. 市川つた 詩選集一五八篇(コールサック詩文庫vol.9)

市川さんは、一九三三年静岡県生まれ。大塚欽一氏の解説がこの詩人の全体像を豊かに述べている。「自殺者の墓」を紹介する。「疼きを掌にもてあそびながら/知らない だが忘れられない風景に/腰をおろす/夜の向こうに/灰色の地平線を行く足音/遠くなる/歩いているのは 私だ/私は黒い着物を着 足首のくさりに/追われ つながれていた/掌だけは彼方にとぶ/私の仰点に/曾て自殺した 私の墓石がある//」初期詩篇からの作品だが、このほかに「白い墓標」などが優れている。詩人の目標とする核がすでに在ったと思う。

5.馬場晴世詩集 新日本現代詩文庫97(土曜美術社出版販売刊)

 馬場晴世さんは、一九三六年横浜市生まれ。「馬場晴世詩集」に所収された作品は、一九八四年から二〇〇七年までに発行された四冊の詩集と未完詩篇、ゲール語翻訳詩、エッセイからなるもの。知性が明るく輝く、泉のほとりの詩集というイメージ。詩の言葉が人の存在へ向けて「根源」に接触している。「水/流れている/せせらぎで/大河で/海で/私の中で」(「水に」より)ゲール語を研究されている馬場さんの詩集の特色の一つは、アマーギンのゲール語翻訳詩がある。古アイルランド語であるゲール語を理解する人は、現在では非常に少ない。ゲール語とは、ケルト語族に属する言語で、単一の言語ではないので「ゲール語族」と呼ぶのがより適切とされている。アイルランドの女性ミュージシャンのエンヤは、ケルト音楽を下敷きに、心を癒してくれる美しい歌声を聞かせてくれている。馬場さんのエッセイには、ケルトのドルイドのことが書かれていて、個人的に、とても興味がある分野。馬場さんの詩の言葉の泉のほとりには、ケルトの妖精の美しい魂の癒しがある。

6.松尾真由美詩集 思潮社現代詩文庫195

松尾真由美さんの現代詩文庫の解説文を書かせていただいた一人だが、松尾真由美詩の孤高の美しさは、この詩人の全体をしなやかな鞭のように包んでいる。彼女の絶望や苦悩は、日常のそれを超えてすでに「松尾真由美」という表象を詩的に現象させた。ゆえに、松尾真由美の作品は、読者に「松尾真由美というマテリアル」を提供するのだ。美しく、はかなく、あえかな、低い声の息の漏れの、光の疵の、熱い接吻をうけとればそれでいいと思う。現実ではない、現実の似姿としての表象の擬態、それこそが松尾真由美の詩世界なのだから。

7. 中本道代詩集 思潮社現代詩文庫197

中本道代さんの詩集の解説文は六人の方が書いているのだが、北村太郎さんの「暗さのつかまえ方」が、おもしろく、そして中本さんの暗さのなかの明るさという涼しい美しさを言い得ていると思った。詩集の巻頭の〈春の空き家〉からの「三月」は十一行の詩だが、ため息がでるほどに、春になったばかりの「ひるねのころなんか」を表している。未完詩篇のなかから「こおろぎ」(二〇〇四年「馬車」三十号)の五行目から最終行までを引く。「けれどもそれは、一種言い難い生だ。ここは部屋だろうか。黒ずんだ壁の染み、花の薄い影、窓の下で鳴き続けるこおろぎ。花はこんなところで何をしているのだろう。だが、わたしは思う。この花は非常に美しいと。死んだような場所に、見る人もなく置かれているから、いっそう美しいと。窓の外は秋。わたしは記憶を呼び集めてどこまでも愛するだろう。こおろぎが、薄青い空に向かって一心に鳴いている。戦争が、また始まろうとしている。」

発話する主体を獲得するとは、無意識の底に沈んでいる世界を意識の上に反転させ、旅することになる。作品世界のなかに「わたしのなかの他者」を創造できるとき、詩はその作者個人を離れて、読者のなかの「他者」と通底する。内的自己を意味するのだが、ユングの言葉で表現すれば「セルフ(self)」と出会う。表現者は、音や色彩や文字言語のそれぞれの言葉を用いて、その人の視座でその人の母語でこの「内的自己」を表現しているわけである。詩によって表現される、それは「もう一つの場所」と呼ぶことができる詩的空間だと思う。この「もう一つの場所」と現在とを往還して、詩の言葉を綴っていく作業が「現代詩」であると思う。彼女たちの詩集は、その時代の生き生きとした言語を獲得して、他者という表象を現象させたのである。

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