9月某日
荻原魚雷『本と怠け者』(ちくま文庫)を繙読。
随筆集で、詩人の天野忠、石原吉郎、辻征夫、菅原克己あたりも文章で取り上げられている。読みはじめると、内容に引き込まれてすぐには止められないところがある。次々と登場する私小説作家などの「怠け者たち」の言動や思考の面白さ。これは、未読ではあるがエンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』(新潮社2008)あたりにも共通するものがありそうである。
ただ、本書は「怠け者」の存在を取り上げて単に面白がっているというわけではなく、彼らの生き方や文章を通しての「愚直なまでの思索の書」となっている。
9月某日
江夏名枝詩集『海は近い』(思潮社 2011年8月刊)を繙読。
前回、取り上げ損ねてしまったのであるが、なんとなく軽い胸騒ぎがするので実際に手に取って読んでみることにした。
内容としては、それこそ言葉の意匠を凝らした「現代詩らしい詩集」もしくは「ストレートな詩集」であるのかもしれないが、それでも現在ここまでの構成力、完成度の高さを作品として提示できる詩人の存在は、やはり稀なのではないかという気がする。個人的には相当に「読みたいと望んでいた詩集」ではあった。
10月某日
『ユリイカ』10月号を繙読。
今月号は「現代俳句の新しい波」という俳句の特集号である。ここ数年では『サライ』や『くりま』で俳句の特集が組まれたが、『ユリイカ』ではおそらく今回がはじめてのことであろう。
一応「現代俳句の新しい波」という特集タイトルとなっているわけであるが、そもそもこの「新しい波」とは具体的には一体何を指してのものであるのか、いまひとつ判然としないようなところがある。記事内容の「東京マッハ」、『新撰21』と『超新撰21』、せきしろと又吉、角川春樹の「魂の一行詩」、池田澄子の作品、あたりを総称してのもの、ということになるのであろうか。
しかしながら、「現代俳句の新しい波」という特集タイトルで、高山れおな、鴇田智哉、関悦史、田中亜美あたりの俳人の名が見えないのはやはり少々問題であろうし、また「週刊俳句」などのインターネットのサイトへの言及も少ない。あと、「澤」などの結社や「豈」などの同人誌の近年の活動内容にも注目する必要があろうし、また、ここ10年くらいに刊行された優れた句集や評論集に対する言及があってもよさそうである。他には、「現代俳句」の100句選でもあれば割合見通しが良くなっていたような気もする。
特集号の他の内容に目を転じてみると、尾崎放哉、種田山頭火、寺山修司、高柳重信の4人の作家論が並んでいる。ここには他に住宅顕信あたりがあってもよかったかな、とも。インタヴューはお決まりの金子兜太ではなく、角川春樹となっている。
俳句作品は、高柳克弘、神野紗希、佐藤文香、山口優夢、長嶋有、西加奈子、米光一成、せきしろ、又吉直樹(ピース)、山口一郎(サカナクション)、千野帽子、堀本裕樹といった面々による10句。
西加奈子、米光一成、せきしろ、又吉直樹、山口一郎あたりの句については、さほど「俳句らしさ」にとらわれていないところが見所というべきか。せきしろと又吉の俳句を読んでいると、なんとなく、俳句ではないが、町田康に、
牛若丸なめとったらどついたるぞ!
というタイトルのアルバム(INU1984年)があったなということを思い出した。こういったあたりからは「短い言葉」の力とその可能性といったものを考えさせられるところがある。
特集号の後半の評論は専門的な内容のものが多くて、読むだけで大変。
ここではやはり現在割合話題となっている千野帽子「二〇分で誤解できる近代俳句。」について少しだけふれておくことにしたいと思う。
- 「伝統」をセールスポイントにするのは近代の発想だし、「伝統」に弱いのも近代人の病です。
- 虚子そして虚子以降の近代結社システムのなかで、活字化や結社内での出世の望みがあるおかげで死なずにすんだ人、正気を保てた人はいまでも多いと思います。この点は皮肉でもなんでもなく正面から評価すべきです。小説ではこんな形で人を救えません。
このような鋭い指摘が所々に見られるのはやはりさすがといった感じであるが、一方で自由律俳句を「一発芸」、人間探求派を「力みかえったアーティスト」といった感じで評価しているのは一体どうなのだろうかという思いのするところもあった。これらの作者の句業を単純にこのような評言だけで簡単に片付けてしまえるのかどうか、やはり少々疑問の残るところがあるのも事実(ご本人もそういったことは承知の上で書いているのかもしれないが)。
また、文中において俳句の世界の「中」と「外」といった区分について言明しているわけであるが、やはりこのような「線引き」というものは、明確に可能なのだろうかという疑問が残る(「朧気なかたち」ではあるといえるのかもしれないが)。
あと、「中」と「外」とは少し逸れるのかもしれないが、自分のようなこれまでどこの協会にも結社にも同人誌にも所属したことがない者の実感としては、俳句の世界には、ある種の「集合意識」とでもいったものが割合強固に渦を巻いているように思われるところがある、というのも事実ではある……。
ともあれ、今回の『ユリイカ』の俳句特集については、全体的に読み応えがあり面白いといえば面白いのであるが、果たして「現代俳句の新しい波」の全体像を的確に把握できているのかというと、まだ検討の余地がいくらか残っていたのではないかという感が多少ある。
10月某日
今年のノーベル文学賞がスウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメルに決定した。
この詩人の詩集は日本でも1999年に思潮社から刊行されていたらしい。『悲しみのゴンドラ』というタイトルで、俳句作品も収録されているようである。今回の受賞を機に重版が行われるとのこと。
ノーベル文学賞を受賞した詩人といえば、これまでに他に、ラビンドラナート・タゴール、ガブリエラ・ミストラル、T・S・エリオット、ヒメーネス、パステルナーク、サルヴァトーレ・クァジーモド、サン=ジョン・ペルス、セフェリス、ネリー・ザックス、パブロ・ネルーダ、モンターレ、エリティス、チェスワフ・ミウォシュ、ヤロスラフ・サイフェルト、ヨシフ・ブロツキー、オクタビオ・パス、ディレック・ウォルコット、シェイマス・ヒーニー、シンボルスカ、など結構多いので驚く。
10月某日
海外詩といえば、土曜美術社出版販売から『現代ギリシア詩集』(東千尋編訳)が今月中にも刊行される予定であるとのこと。
10月某日
最近の短歌関係の刊行物をいくつか。
- 柳澤美晴歌集『一匙の海』(本阿弥書店)
- 古谷智子歌集『草苑』(角川学芸出版)
- 山埜井喜美枝歌集『月の客』(角川学芸出版)
- 佐田公子歌集『さくら逆巻く』(角川学芸出版)
- 梅内美華子歌集『エクウス』(角川学芸出版)
- 大塚寅彦歌集『夢何有郷』(角川学芸出版)
- 馬場あき子歌集『鶴かへらず』(角川学芸出版)
- 『米川千嘉子歌集 現代短歌文庫シリーズ91』(砂子屋書房)
- 『続米川千嘉子歌集 現代短歌文庫シリーズ92』(砂子屋書房)
- 佐藤通雅歌集『強霜』(砂子屋書房)
- 森岡貞香歌集『帯紅』(角川学芸出版)
- 岡井隆『今はじめる人のための短歌入門』 (角川ソフィア文庫)
10月某日
最近の現代詩関係の刊行物をいくつか。
- 杉山平一『希望』(編集工房ノア)
- 田中宏輔『The Wasteless Land. VI』(書肆山田)
- 吉増剛造『裸のメモ』(書肆山田)
- 伊藤悠子『ろうそく町』(思潮社)
- 今井義行『時刻の、いのり』(思潮社)
- 渡辺玄英『破れた世界と啼くカナリア』(思潮社)
- 暁方ミセイ『ウィルスちゃん』(思潮社)
- 『季刊 びーぐる』13号(澪標)
10月某日
最近の俳句関係の刊行物をいくつか。
- 三村純也句集『観自在』(角川学芸出版)
- 山本洋子句集『夏木』(ふらんす堂)
- 『現代俳句文庫67 小島健句集』(ふらんす堂)
- 西原天気句集『けむり』(西田書店)
- 『ぶるうまりん』19号
10月某日
西原天気句集『けむり』(西田書店)を繙読。
著者は1955年生まれ。1997年、句作開始。1998年から2007年まで「麦の会」所属。2006年から2011年春まで「豆の木」在籍。2007年4月からウェブマガジン「週刊俳句」を運営。句集に『人名句集・チャーリーさん』(2005年 私家版)がある。今回の句集は装丁が少々変わっていて、まるで紙製の「カラフルな文房具」とでもいったような趣き。栞や本文のレイアウトにもそれとないこだわりが感じられる。
あまがへる昼降る雨のあかるさに
ゆふぐれが見知らぬ蟹を連れてくる
十月の雨のぱらつく外野席
しやぼんだま大きな玉のゆつくりと
春寒し色えんぴつに白と黒
胸は匣なりけり春の夜にひらく
句集名が『煙』ではなく『けむり』というひらがな表記となっている。この「ひらがな」の柔和さがこの句集における特徴の多くを物語っているように思われる。ソフトで茫洋とした浮遊感。この作者の作品を読んでいると、過去の記憶や時間が甦ってくるようなところがある。
ハンカチを干していろんなさやうなら
その鳥のたまごは風のうすみどり
濡縁にロシア貴族のやうな蛾が
短日のかまぼこ板が燃えてゐる
にはとりのかたちに春の日のひかり
どんぐりが泣くほど降つてをりにけり
空に雲ありしは春の名もなき日
10月某日
関悦史句集『六十億本の回転する曲つた棒』の刊行日は、11月末に変更となったそうである。
定価が2100円で、現在、邑書林のサイトにて予約受付中とのこと。