腿高きグレコは女白き雷
新興俳句は、モダニズム的要素を取り入れ、コスモポリタンで妖艶。それまでにない俳句の世界を築いた。弾圧事件により終息という記録をみるが、その意志は今日にも受け継がれている。掲句は『まぼろしの鱶』に収められ「昭和三十年代」の作品である。グレコとは、敏雄がニューヨークでジュリエット・グレコを見て得た句であるらしい。年譜から1960年三橋40歳の時、日本丸にて寄港した地にニューヨークがある。日本の海外渡航は1964年に自由化されている。海外渡航が許されていない時の船乗りの特権である。ジュリエット・グレコ。(Juliette Gréco)フランス人シャンソン歌手。今も歌いつづける美しい女性。
「腿高き」という外人女性のとらえ方、「女」と指摘する危険さ、「白き雷」(「しろきらい」と読むと予想)の百合が香りたつような閃光。まるで競争馬のような気品を持ち敏雄の前に神々しくライトを浴びるフランス女性が目に浮かぶ。五七五のリズムの中、作者の鋭い感性により洒脱な詩として浮かび上がっている。季語がどうだのという説明は陳腐に過ぎない。ジュリエット・グレコは第一回引用の「日はまた昇る」(アーネスト・ヘミングウェイ作)の映画に出演している。
技法的特徴は係助詞「は」にある。「グレコは女」。「グレコ」が「女」であることを強調し、題目を示す。そこに敏雄の錬金術が冴える。「グレコ以外は女ではない」というところだろうか。
敏雄の句の「は」の使用について敏雄初学の句に、既にその特徴が明らかにされているのは、下記の句である。
出征ぞ子供ら犬も歓べり
(『太古』)
出征ぞ子供ら犬は歓べり
(『まぼろしの鱶』)(『靑の中』)
『太古』発表当時(昭和16年)、時勢を配慮して手直しをしたものを後に原形に戻したと考えられている。(*1)「も」であれば、全ての人々が喜び、「は」であれば「子供ら犬は」以外の人は喜んでいないことになる。(*2)
優れた作家は助詞の使用が巧みと言われるが、係助詞「は」の使い方が顕著な句が敏雄には多い。脳裏でリフレインを起こさせる句たちである。
結社を持たない敏雄は人気作家というより現在も一部の熱狂的支持者を持つ作家という印象が強い。超特装本も限定刊行された。『靑の中』後記に記載のあるコーベブックス(南柯叢書)(*3)の元編集者・装丁家である渡邉一考氏が経営する赤坂のモルト・バー「ですぺら」(*4)の壁面には「船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな」(高柳重信)と並んで掲句の色紙がある。
余韻と残像を残しつつ、ふと日常を忘れさせてくれる句である。
*1)『俳句評論』昭和52年11月号 三橋敏雄特集 『「太古」および「弾道」の秀句』 松崎豊
*3)1963-2002年に営業の神戸に本社のあった出版社。加藤郁乎、永田耕衣、マルセル・プルース、須永朝彦などの本を出した。
*4)「ですぺら」東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F Open: 18:00-26:00 定休:日曜・祝日 TEL:03-3584-4566 三橋敏雄、加藤郁乎らと親交のあった装丁・編集者である田中一考氏は2011年8月に店主を引退された。