戦後俳句を読む (6 – 1)    ―「色」を読む―  三橋敏雄の句      / 北川美美

鬼赤く戦争はまだつづくなり

三橋敏雄は、戦後の句集『まぼろしの鱶』から『畳の上』まで絶対的「赤」のイメージがある。掲句は『眞神』二句目(『現代俳句全集四』では三句目)に収録されている。実際、「赤」の使用句は、『眞神』6/130(4.6%)、『鷓鴣』6/162(3.7%)と厳選と思える収録数でこの数字である。

霧しづく體内暗く赤くして    『眞神』
産みどめの母より赤く流れ出む
またの夜を東京赤く赤くなる   『鷓鴣』

めでたくもあり、恐ろしくもあり、妖艶で興奮の気配ある「赤」。ゴダール映像の中の鮮やかな「赤」、『追憶』のケイティ(B・ストライサンド)の爪の「赤」、血の色のムスタングの「赤」、鮮明な赤色が敏雄句から想起される。

いつせいに柱の燃ゆる都かな   『青の中』『まぼろしの鱶』

燃える炎も赤である。戦場へ赴いた者にとって「赤」のイメージは単なる空想の産物ではありえないだろう。復興を遂げて豊かさを取り戻しつつある目の前の現実が、どこか嘘臭く、「流れる血」「母の胎内」が二重写しのように浮んできたとしても、不思議ではない。

「鬼赤く」の掲句に、白泉と赤黄男の句を思う。

赤く靑く黄いろく黑く戦死せり  渡邊白泉
石の上に 秋の鬼ゐて火を焚けり 冨澤赤黄男

新興俳句は「青」や「白」にモダンな詩情を託し、「頭の中で白い夏野となってゐる」(高屋窓秋)「少年ありピカソの靑の中に病む」(敏雄)「白の秋シモオヌ・シモンと病む少女」(高篤三)など色の秀句が多い。昭和12年に、渡邊白泉が新興俳句の業績を省みて、「こういう青の俳句に対して、次に誰が赤のリアリズムをつくるか」と言っている。(*1) 青・白そして赤へ。白泉の言葉を引き継ぐように敏雄の赤へのこだわりがうかがえる。

白泉は、色の三原色を合成し黒焦げになり死に絶える人(あるいは、たましい)を句にした。アンディ・ウォーホールがだどたどしい日本語で「アカ、アオ、ミドリ、グンジョーイロ、キレイ」(*2)とテレビを抱えていたCMが戦争を忘れつつある昭和の平和を映し出していたように思えてくる。赤黄男は狂気のような鬼が火を焚くことを句にした。戦争を見たものだけが知る得体の知れない鬼がいる。そして敏雄は、地獄、邪悪、女・・・日本古来からの多様な恐さを持つ鬼が「赤く」なる、それ故に「つづく」戦争。ここでもまた使用されている係助詞「は」。断定・強調の「なり」と対置し、何かは終わったが、戦争はまだ「つづいている」という含みがある。嘘臭い平和は終っても鬼が赤くなる戦争はまだつづく。戦争とは恐いことなのだ。

「赤く」なるとは、紅潮すること、血潮の色である。不思議と三橋晩年の句集『しだらでん』(1996年76歳)に「赤」の文字が入る句が無い。


*1)アサヒグラフ(昭和63年7月増刊号・俳句入門)『昭和はどう詠まれたか』宇多喜代子・川名大対談

*2)TDKビデオテープのCM。1983年製作。プロデューサー:浅葉克己、コピーライター:眞木準(Youtubeにて閲覧

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