戦後俳句を読む (7 – 2) ―「音」を読む― 上田五千石の句 / しなだしん

水透きて河鹿のこゑの筋も見ゆ     五千石

第一句集『田園』所収。昭和42年作。この句の自註(*1)には、

甲州下部温泉に、高野寒甫、鈴木只夫と遊ぶ。下部川の清流に眼を洗い、河鹿の笛に耳を浄めた。

とある。

下部(しもべ)温泉は、甲府の南側、富士山の西側に位置し、下部川の上流域にある温泉で、古くは“信玄の隠し湯“と云われた温泉街である。

去る六月初旬、私もこの下部温泉に脚を向けた。私がこの地を訪れたのは、この下部の近くの一色というところで螢を見るためで、少しであるが、久しぶりに螢を見ることもできた。宿泊したのは、下部温泉の中でも老舗と言われる“湯本ホテル”である。この湯本ホテルは下部川の川沿いにある、築30年という鄙びた宿だ。

客室の窓の下は下部川で、その川瀬の音の大きさにやや戸惑った。それと同時に聞こえるのが、清流にしか棲まないと云われる河鹿蛙の声である。河鹿笛は清らかな瀬音に相応しい美しい声で鳴き、普通声のみが聞こえるだけでその姿を見るのは難しいと云われるが、この日、偶然に姿を見ることもできた。

五千石もこの地で河鹿笛に親しんだのだろう。

ちなみにこの下部温泉は虚子が逗留したことでも知られており、逗留時の作「裸子をひつさげあるくゆの廊下」があり、当地には「裸子」という俳誌もあって俳句が根付いている。

なお、この“湯本ホテル”には、虚子逗留時の記念写真が残っており、宿の主人にその写真の幾つかを見せていただいた。きっと虚子も河鹿を聞いたはずである。

さて、今回のテーマ「音」について、はたと困った。五千石に「音」という文字を使った句はほぼ無く、音を喚起させる句さえ非常に少ないのだ。

渡り鳥みるみるわれの小さくなり     五千石
萬緑や死は一弾を以て足る
水馬水ひつぱつて歩きけり
いちまいの鋸置けば雪がふる
女待つ見知らぬ町に火事を見て
これ以上澄みなば水の傷つかむ
たまねぎのたましいいろにむかれけり

などの五千石の代表作を見ても、音を感じさせる句が無い。それどころか、そこにあるのは深い無音と言ってもいい。

五千石の作句は、“眼前直覚”という言葉からも、自らの研ぎ澄まされた視覚と、そこから得られる情念から産み落とされていたのではないかと思うのである。

そういう意味で、冒頭の「河鹿」の句はとても貴重な「音の一句」である。しかし、実はこの句も、「河鹿笛」を読みながら、その聴覚から”こゑの筋“という視覚への転換がなされていることは見逃せない点である。


*1 『上田五千石句集』自註現代俳句シリーズⅠ期(15)」 俳人協会刊

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