柚子湯出て慈母観音のごとく立つ 五千石
第一句集『田園』所収。昭和三十六年作。
男性作者の女性を対象にした句というのは基本的には「恋の句」となるのが一般的だろうか。
女性が詠む恋の句は、情念的であったり、傷心的であったり、あるいは女性の身体を詠うことで恋心をあらわし、一般的にも受け入れやすく、秀句として残る作品も多い。
一方、男性が詠む恋の句は生すぎるのか、どこか嫌味に受取られるのか、市民権を得られていないようだ。だが森澄雄や鷹羽狩行の「妻恋い」や蜜月俳句のように、妻を詠んだ句は語り継がれる作品も多くあり、一線を画す。その違いは単純だが「恋」と「愛」の違いということになろうか。
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掲出句も、妻を詠んだ句である。
厳密に言えば「母」である妻の母性と、その母性をたたえる妻の姿にはっとし、さらに愛を深くした句、といえるかもしれない。
この句の年、五千石は28歳。同年9月23日、長女日差子が生まれている。
この句について、自註(*1)に〈母は私をみごもったとき、狩野芳崖描く「慈母観音」の写真版を掲げて、胎教としたという。これは眼前の柚子母子〉と記している。
また著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*2)の「自作を語る」の中では、その狩野芳崖の慈母観音がなんとなく脳裏に焼き付いてしまった、と書き、〈ある日ある時のでない、昭和三十六年十二月の冬至の夜の母子入浴後の姿〉として〈眼前に、私の「慈悲観音」像となって再現された〉と記す。
慈母観音の絵を胎教に、というのも面白い話だが、それが五千石に伝えられ、五千石もそれをずっと覚えていた、というのも何だかすごい。
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この句は「柚子湯」が効いたのかもポイントだが、「柚子湯」といえば「風邪を引かない」ということからも子への親の愛情を感じることもできるし、柚子湯のころの寒さを考えれば、風呂上がりの体からは湯気が立ち上っていたことは想像に難くない。
慈悲観音は菩薩であり、その像は赤子を抱いた姿のものも少なくない。この句の観音である五千石の妻、霞の腕には生後三ヵ月ほどの長女日差子がしっかりと抱かれていたのだろう。
湯気は「柚子」色のイメージを纏い、まるで後光がさすようだという感覚も頷ける。
*1 『上田五千石句集』自註現代俳句シリーズⅠ期(15)」 俳人協会刊
*2 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊