戦後俳句を読む(29 – 2)上田五千石の句【テーマ:雨】/しなだしん

百八燈しづめの山雨来たりけり

第二句集『森林』所収。昭和五十二年作。

季語は「百八燈」で秋。句集中の「燈」には「たい」とルビがあり、「ひゃくはったい」と読むことを示している。「百八燈」は、一部の歳時記には「山梨県南部町の富士川の河原で行なわれる火祭」とある。南部町の他にも秩父や埼玉の猪俣などでも行われている盆の行事のようだが、記載のない歳時記も多い。なお、歳時記には「ひゃくはっとう」という読みが掲載されているものが多いようだ。

句集中、掲出句と、この前句である「暗天に投げ松明の一試投」には「甲州南部火祭 二句」という前書があり、八月十六日、南部での吟行句であることがわかる。

さて、この「百八燈」についてだが、山梨南部町では「南部の火祭」の一環として行われるようである。「南部の火祭」は、盆の送り火と川供養の奇祭であると同時に、「虫送り」の意味も込められている、とされる。「百八燈」は、人間の百八の煩悩を炎で除去、あるいは死者の慰霊や稲の害虫であるウンカの虫送りの意味があるとされる。

富士川の両岸約二kmに百八基の円錐形の焚き木の山が作られ、夜八時のサイレンとともに点火されると、その光景は川が燃えているようだという。また、この句の昭和五十二年頃にはあったのか分からないが、今では打上げ花火と相まって、天と地も絢爛豪華に彩られていくという。

掲出句について、著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』の「自作を語る」の中で〈火を付ける役の少年たちが「百八」人、松明をかかげて闇の河原を行列する光景はまたなんとも印象的なもの〉と記し、〈「百八燈」の火がようやく果てるころ、堪えに堪えていた「山雨」が車軸を流すごとくやって「来た」のです。火を「しづめ」、精霊を「しづめ」る「雨」です〉と続けている。

さらに〈師を亡くし、母を失ったこの年の「百八燈」の「山雨」は、ことさらに私の胸に沁みとおったように思われました〉と、この年の、自身の大きな別れについての感慨も付け加えている。

さて、掲出句では、この火祭のあとに雨が降ってきた状況である。山焼等の農作業や、山火事等のあとにも、雨が降る、というのはよく聞くこと。こういう火を使ったあとの雨というのは、条件が揃えば人工的にも可能だという類のことを聞いた覚えがあるが、真相は不明だ。

この句では、壮大な火祭のその火照りを鎮めるかのような雨を「しづめの山雨」と、名詞表現としているところが、五千石の技だ、と私は思う。

なお、同時作「暗天に投げ松明の一試投」と掲出句の次句に、「百八燈きのふに峡は雨の秋」が収録されているが、これは翌日に吟行の余滴として作られたものだろう。この、現場で作っていない句を「甲州南部火祭 二句」に含めていないところに五千石の几帳面さと拘りが伺える。

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