戦後俳句を読む(28 – 3)上田五千石の句【テーマ:雲】/しなだしん

和紙買うて荷嵩に足すよ鰯雲

第二句集『森林』所収。昭和五十一年作。

「鰯雲」の句である。「鰯雲」は五千石の好きな季語のようである。特に初期の『田園』『森林』の収録が多く、掲出句のほかにも

いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに   昭和33年
乱声のピアノとなれり鰯雲   昭和33年
流寓のながきに過ぐる鰯雲   昭和37年
いわし雲十年一日とはいへど   昭和37年
鰯雲くづれは雲の襤褸なる   昭和45年

などがあり、昭和45年作の〈鰯雲くづれは雲の襤褸なる〉は〈12回「記憶」を読む〉で紹介した。また、「鰯雲」だけではなく「秋の雲」の句も多い。

秋の雲立志伝みな家を捨つ   昭和38年
峡中に入る秋雲の一片と   昭和41年

さて、掲出句について著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*1)の「自作を語る」の中で〈飛騨の山旅の終わりに「買」わでもの「嵩」ばる「和紙」を仕入れて「荷」に加えた。加えたからといって、格別「嵩」が重くなったわけではないが、それを「荷嵩に足す」と何となく旅の疲れが増したような気がしたのです〉と記している。表現がやや分かりにくいが、飛騨からの帰り際に和紙を買い、旅の終わりの感慨があふれてきた、ということだろう。

続けて〈天に広ごる「鰯雲」を仰ぐにつけ、いまさらながら帰路の遠さが思われ、「和紙」の「買」い物が、ちょっぴり悔やまれる、というぐらいの句であります〉とある。続けて、〈でも、ほんとうのことを言えば、一句は旅の充足感であります。ここらが俳句の妙味で、ひねった言い方と言っていいと思います〉と本音ものぞかせている。

さらに〈そこらの機微を説いて『紙の軽さに照応する表現が「買うて」と「足すよ」にある。「買って」「足せり」となるといささか言葉に目方がつく』と言ってくださったのは、飯田龍太氏でありました〉と記す。

龍太の弁は、この句が仮に

和紙買つて荷嵩に足せり鰯雲

であると、言葉としてやや重くなるというほどのことだろうか。

この軽さに五千石自身も工夫のし甲斐があったと感じているのだろう。

掲出句以外にあげた鰯雲、秋の雲の作品は、どれもやや感情が先に立っているように思う。それは秋の雲という、ものさびしさが先に立っているからかもしれない。これに対して掲出句では、軽い感じが勝っているのは、その感情の隠し方の技が効いているということだろう。


*1 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊

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