炎帝に召し使はれて肥担ぐ
第二句集『森林』所収。昭和三十二年作。
今回のテーマ「日」、つまり太陽だが、五千石に日がさんさんという句はあまりない。広義で「日輪」に近しいものとして「炎帝」のこの句を今回選びだした。
この句の自註には〈働くことは天に奉仕することだ。額に汗しないものに生きる喜びがない。とはいえ、炎天に肥担ぐものは、むごたらしい〉とある。
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私の生まれ育った新潟県柏崎市の村にも、昭和四十年中頃くらいまで、肥溜の野壺があり、近くへゆくとぷーんと匂いがした。肥溜から肥を掬い、天秤棒で担いで畑へ運ぶ姿もよく見かけたものである。私が育ったのは柏崎刈羽原発にほど近い、海べりの砂地の土地。砂地でも育つ、茄子、胡瓜、トマト、西瓜やメロン、枝豆などが畑にあったように記憶している。だが高度経済成長期の裏側で、いつの間にか肥溜や天秤棒はひっそりと消えていった。
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「炎帝」は夏の異名として季語になっており、「夏をつかさどる神」と解説されている。
「炎帝」の辞書にはもうひとつ意味が載っており、(火の徳によって王となったところから)中国古代の伝説上の帝王、神農氏のこと、とある。
中国の歴史は難しくてよくわかってはいないが、炎帝神農氏は、史記の三皇五帝の、皇帝の一人を指す。もともと南方の夏の季節を司る偶像的な神だったのが、五行思想の三皇の一人である神農と結びついて「炎帝神農氏」と呼ばれるようになり、歴史化されたようである。炎帝神農氏はその名の漢字にもあるように、農耕と、それに伴う薬事を司る神とされており、炎帝が農耕に結びついているのも興味深い。
掲出句の「召し使はれ」は分かりにくい感じもあるが、この炎帝神農の命令通り働くのは「召し使い」のようであり、奴隷をも連想させる。汗水流して作物を作り、生き伸びようとする人間の姿である。
炎帝のもとに肥の匂いと汗の匂いがもうもうと蘇ってくるような感じがするのは、子どもの頃の遠い記憶のせいだろうか。
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掲出句の景は自註にある通り、労働の極みのような場面ともいえる。第一次産業で働く人々は逞しく、だがどこかで惨たらしい。
真夏の炎天下、神の召し使いの如く、肥を担ぎ働く人間。今の若い俳人たちは到底理解しがたい情景だろう。