戦後俳句を読む (18 – 1) ―「月」を読む― 上田五千石の句 / しなだしん

月の村川のごとくに道ながれ     五千石

第三句集『琥珀』所収(*1)。昭和六十一年作。

このところ、意識的に第三句集『琥珀』の作品を挙げてきた。『琥珀』の秀句を紹介したいとの思いからだ。

五千石の句は第一句集『田園』が斗出して評価が高く、それ以後の『森林』『風景』『琥珀』『天路』は軽視されすぎる傾向があると思っている。たしかに、『森林』『風景』あたりは発展途上の感もあり、『田園』ほどのインパクトがないのも事実。だが第三句集『琥珀』は、「眼前直覚」以降の五千石の充実期であり、練られた表現、詩情豊かで技が光る作品が多く、五千石俳句の最高峰は『田園』よりもこの『琥珀』ではないか、と個人的には思っている。

掲出句。

ふつう「ごとく」を使う場合、全く別次元のものを引き合いに出すのが、比喩の醍醐味であり、飛躍を生む秘訣だと思う。「貫く棒のごとく」のごとく。

だが、この句では「道」を「川」に例えている。どちらもごく自然に、身近に存在するもので、言うなればかなり近いものと言える。大いなる水の流れ、つまり川、その近くに人が集まり、生活が形成され、道ができる。川沿いには必ずといっていいほど道がある。この意味でも「道」と「川」は関係性が強い。比喩としての飛躍に乏しいように思うのだが、一句として仕立てられたとき、違和感なくすっと入ってくるから不思議である。これが先に述べた、さり気ないが、地に足のついた技とも言えようか。

この句に前書はないため、どこの景色なのか、本当に存在する村なのか、それは分からない。だが、この道は車のヘッドライトが行き来するような道路ではなく、山間のひっそりとした村、鄙びた屋並みを通る村の道が想像できる。世界遺産にも登録された白川郷などを思ったりもする。

「月の村」と上五に置くことで、まず大づかみの把握を読者に促し、「川のごとくに道ながれ」で、景色としての村の在りよう、道の存在を提示する。高台から村を見おろしているような浮遊感を感じるのは、「月の村」という上五の効果であり、「川のごとくに」「道ながれ」によって月の光りに浮かぶ幻想的な村の道を静かに喚起する。

「川」や「道」「村」という何気ない現実的な言葉を使いながら、この句の景色がどこか現実離れしているように感じるのもまた、「月の村」という言葉の不思議さから。


*1 『琥珀』 平成四年八月二十七日、角川書店刊

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