たそがれ あるいは華々しい飢え 内池 和子

たそがれ あるいは華々しい飢え 内池和子

田舎都市 ふくしま駅前広場 けやきの葉陰で
この街生まれの 大衆に愛された作曲家が
小ぶりな灰色の銅像になって 小さなピアノを弾いている
通りすがりに作曲家をのぞくと
青空のかなたから 機嫌のいい音の波が 輪になって降ってくる
そう あのころ 作曲家の活躍の時代は まだ すべてが蕾だった
固く雌蕊の芯に希望の香り抱きしめ
自由という言葉に 男も女も放射線状に心がはじけた
風呂屋が がら空きになったという 伝説のラジオドラマを
唐草模様の囲みで彩った はもんどおるがん の調べ
家々の灯影で 聞き手は それぞれのイメージ描き一喜一憂
十五年戦争の残した傷は深くても
家族が寄り添う絆を疑わなかった
あのほんのすこし掠ったほどの 酔いの時
たった六十年余り前 たそがれは遠かった
 
いま見渡せば広場のへり
花の帯 あでやかにめぐらし
花見山とて花木の眺め売り物の街らしい粧い
かるい風がよぎると 花々の首 いっせいに
ほた と風になびき ひら と 重なる 虹の色
この帯は車道をまたぎ 低いビルの前をゆき
歩道の隙間にのび 今 蝕まれながら病んでいる街を
華やかな仮面でおおっている
蝶一羽 蜂一匹見当たらぬ 花園の不気味さに
なることならば 私は過ぎし時の旅人でありたい
この華麗な花たちの蜜は固く閉ざされたまま 静かに了る
 
私たちはあのころから耳しいていたわけではない
酔いのさなかから もう呼び鈴は小さく鳴らされていた
はじめはためらいがちに ほどなく警鐘へ
この島国に地を這いひびく 乱打 乱打
小川では やごが飢え めだかが飢え 幼いほたるが飢え
たにしが飢え かえるが飢えていた
私たちの飽食の陰で ひそやかに絶えて逝った摂理
河原撫子やおみなえしが野末を追われ
せいたかあわだち草が草地の帝王になったころから
ひばりも飢え ふくろうたちもどこかへ去り
親つばめも飢えをかくせず 子つばめは故郷を失った
そう 蠅すらひそと身をかくしているのだから
 
除草剤は微細ないのちのみなもとを絶ちながらふりまかれ
空色と銀色にいろどられた原子炉の殿堂は
列島の夜を横切る宇宙船に 絢爛たる光 日本の輪郭を見せ
農薬とともに過酷な労働から 私たちを解放した
なんと偉大な人間
なんとあっぱれな 種ではないか
くさぐさの苦痛から逃れる手だてへても あと少しでたどり着こう
きっと
かくして飢えた痩せた種に
いまさら足摺せんばかりの未練や憐憫はむしろ不遜ではないか
人間だけが 美々しく生き残れば
セシウムや放射能が蔓延しても
家族や愛や絆などという言葉がおぼろになっても
かつては人間だったという伝説を持つ孤独な形になりながら
未来はもう記憶してはいないだろう
私たちの今を たそがれの今を
晩鐘のひびきを

タグ: None

      
                  

「自由詩」の記事

  

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress