この世〈で〉笑う方法 六片 北川透

この世〈で〉笑う方法 六片 北川透

 人それぞれのサーカスだ。 ジャック・プレヴェール
 
 
ライオン
 
猛獣使いなら、ライオンの口に、
頭を突っ込んでも大丈夫だろう。
猛獣使いなら、銀行に貯金してないし、
恋人の牙を研ぐことも知っている。
猛獣使いなら、ライオン〈で〉遊ぶことも、
ライオン〈で〉笑うことも知っている。
猛獣使いなら、〈で〉だね。
〈を〉なら、ペシミストになってしまう。
 
 
老いぼれた太陽(「影たち」異稿)
 
にせものの太陽がいなくなっても
その影たちは
メモリー・カードの中に
いつまでも騒ぎ続けているだろうか
 
老いぼれた太陽がいなくなっても
影たちの咳払い
街路の雑踏や食品売り場の喧騒のなかを
でかい顔して歩いているだろうか
 
たとえば日没後の動物園では
大勢の影たちが、真昼の鉄格子を忘れて 
千年の野性を吠えている
 
あるいは 青い光の波が苦しげに渦巻く
遥かな糸杉の村の星月夜の絵のなかの
記憶の底で眠っている。
 
 
樫の木 
樫の木はただ立っている。無数の枝を広げ聳えている。痛い鋸歯状の葉を繁茂させる。春には
葉の付け根に、直立して花が咲く。それはやがて小さい楕円の硬い実になる。
 
時に風はこの不動の樹木の死を露呈させたくなる。首を捻じ曲げる。肩を抉る。手指をもぎ取
る。空洞を転がす。大地に這わせようとする。風はそんなにしてことばを苛め、試し、分析
し、解体し、綿密に調べ、記録し、焼却する。けれども、そこに残るのは、強靭で重くしなや
かな、一つの堅固な詩のボリューム。
 
きょうの樫の木は、いっぱい雀っ子を抱きかかえて、穏やかな風に擽ったそうに身体を揺す
っている。周り一面に団栗が散らばっている。こどもたちがそこで隠れん坊をする。
 
 
迷走 
真夜中と言っても冬の海沿いに人が走る
海沿いの冷たい風と言っても人のなかを犬が走る
冷たい海沿いと言っても犬のなかを風が走る
 
犬の風と言っても真夜中の人の冬が走る
裸の人と言っても海沿いを真夜中が走る
真夜中の裸と言っても冷たい犬のなかを海沿いが走る
冷たい犬と言っても真夜中の冬の裸が走る
 
 
アモルファス
 
黒犬は小柄な室内装飾だったが魔法瓶と衣裳を比べ合ったりして屋根裏部屋にキスしたもんだ
から通常の意味を超えた装甲車がとてもおいしいと言って危険な歯ブラシを諳んじながら卵型
の歌詞と技巧を競い合い憲法を作動させている「胡桃の大きさの腫瘍が幾つもわたしの天使の
胃の中に出来ている」レモン水を浴びつつ国境のお腹が空いてバックしてきた曖昧模糊なタイ
ヤの眉毛を直立させて「きみの乳房は何処にあるんだい?」「あら、日豊本線の蛙のヘソの上
に忘れてきたみたいよ。」「それで抽象画のパレットで溺死したんだね。」
 
 
笑う門 
アイツガトオクカラハシッテキタラ  アイツガワタシヲミツケタラ  アイツガテヲフッタラ 
アイツガコエヲカケテキタラ  アイツガコウエンノベンチのワタシノトナリニスワッタラ  ア
イツガワタシヲダイタラ  アイツガワタシノクチビルヲスオウトシタラ  マサシクソノトキ 
ワタシハ
あいつの故郷を刺しました。
あいつは濡れた死をわたしのやわらかな唇に入れたまま、
愛してるって囁くまで待って欲しかった。せめて五分……
あいつはわたしに嬲られたまま、
次第に溶けてゆきました。
赤いペンキで一筋二筋描いたようなウソっぽい夕暮れ時。
 
あいつはもはや公園のベンチの上の一滴の水。
遺された傷跡には、一羽の鳩がとまっています。

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