耳鳴り 石田 瑞穂

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耳鳴り 石田 瑞穂

何日かぶりで耳鳴りがした
それは遠くから
思慮深く漂いはじめ
耳管を伝って音ずれ
ついには全身を
すっぽりつつんでしまう
そうなったら
どうすることもできない
内なる嵐が早く
立ち去ってくれるのを
待つしかない
 
ぼくはホテルのベッドのうえ
まっ白で清潔なシーツの
しわと襞の砂丘に横たわり
灰の味のする金色のスコッチを
ゆっくり口にふくんで
錠剤を血液の河へ押し流す
 
幻聴の入道雲の中心に
全身で耳をすまし
精神の気圧の高低や
音色の透明度を
一音漏らさず聴きとっていく
早朝のヘンデルでも聴くみたいに
 
地上二百メートルの
コンクリートと鉄でできた
ちいさな独り部屋の
窓枠に切り取られた
ちいさな空は青色の水に
満たされた湖のようで
 
霧が音もなく滑り
高層階の蛍光灯を吹き消してゆく
静けさのクレッセンドにのって
水のなかを黒いカラスが
滑空していった
 
ぼくの耳は
無音と雑音の
荒波の透き間で
こらえている
ちっぽけな笹舟
 
いったいこの
やっかいで親密な
音はなんだろう
 
弦のないヴァイオリンの響き
落葉 秘境の滝壷
音楽室のトライアングル
古い磁気テープに録音された
蝶の羽ばたき
 
世界にふたつとない音
 
ゆえに
世界そのものである音
 
言葉と物には
置き換えられず
空気にさえふれない
この非言語は
 
軟骨の複雑なレリーフ
外耳道 鼓膜
かたつむり管
入り組みながら
繊細なカーヴを施し
内へ 内へ
万華鏡のような
花模様を咲かせる
聴きとりの地図
音というものは
迷うことから生まれる
とでもいうように
 
できることなら
両耳をとりはずし
部品をひとつ一つ点検して
溜まった塵は刷毛で掃き
曇っているところは
布で磨きあげたい
とさえ思う
 
こうして
耳の奥底について
とめどなく考えていたとき
 
ふと思い出したのだ
ロイヤルマイルの
地下深くに隠された場所
ウェバリー駅から眺めると
中世の低い建物が
岸壁のようにつづいていて
なかには人の手で造ったとは思えない
狭雑で長い距離の迷路じみた
居住空間が広がっていた
小便臭い黴とじめついた影に覆われ
犯罪者やジプシーたちの
幽霊の吐息がまだ
すぐそこの闇に漂っている
昼の陽光も星の光も届かない
迷路の空は氷が張ったように
しんとしていて
その一点からはいまにも
粉雪が舞い落ちてきそうだった
ジキルとハイド氏を生んだ
直線の迷路
けだるい時の河の ゆるやかな虜囚
本の背に刻された
題名だけが映しだす
一筋の忘却のかたち
 
その一番デリケートで
入り組んだ透き間に隠された
音の泉に掌を浸したい
 
窓の下には公園の噴水が見え
わずかに残ったビルの光を
濃い緑が閉ざそうとしている
若い母親が出口をめざして
ベビーカーを急いで押すのが見えた
かごめ かごめ
かごの なかの
とり は
放送の青い籠目に
閉じ込められないうちに
 
そういえば今年は
鳥の異変について耳にすることが多かった
琉球弧では大量のスズメの死骸が見つかった
台湾から渡ってくるヒヨドリも
今年はまったく見かけないという
東京にも餌台にスズメが来ない
知床海岸には シベリア カムチャッカから
渡ってくるはずのウミガラスたちが
油まみれになって漂着した
最近明け方に一羽きりで
聴いたこともない声で
美しく長く囀りつづける鳥がいます
どなたか 何という鳥か
ご存知ありませんか―
だれにも聴こえてはいないけれど
音の世界にも大きな異変が音ずれている
 
ルームランプが仄かに照らす
ベッドにはだれも寝ていない
 
こめかみを揉んでいたぼくは
いつのまにか細かく分解され
ビル全体に拡散してしまったのだ
 
世界というノイズが
鳴り止んだ瞬間
ぼくという存在も
存在ではなくなる
 
そんなふうに
排水孔を流れていってしまう
孤独をいつか見てみたい
 
耳鳴りに慣れなかった頃は
ただ気づかないふりをしていた
でもそんなことをすれば
耳の幻覚はとたんに爪を剥いて
頭のなかを乱暴に
ひっかきまわすだけ
 
両手をさしのべ
抱きあげるまで
ぼくにまとわりついて
離れようとしない
鏡のなかで鳴く
淋しがりやの猫みたいに
               (連作詩「耳の笹舟」より)

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