ヤドカリ百年史 コマガネトモオ

コマガネ詩130906-1
コマガネ詩130906-2

ヤドカリ百年史 コマガネトモオ 

ヤドカリ始めて百年。 
またの名を接ぎ木。またの名をカッコウ。
(もらい手のほうが邪悪なんだけど)
もう百年経ってた。知らなかった。
我が血脈の既視感に貫かれた
群像劇をご覧あれってね。
どうしてこう同じことを繰り返すのか。
メッセージは途切れてるってのに。
ロバの耳!叫びたい気持ち。
のおあある
ってそりゃ朔太郎だろ
うなりたい気持ち。
この気持ちが晴れたなら
交代で詩が消えると思っていた。
でも消えないんだなあ
第一、晴れない。
私の父は、自分と私との共通点を見いだして
いまだ知らない親の像を描こうとしていた。
身毒丸も寺山修司もできなかった技だけども
これ意外とあてはまっていた
後ろの正面
だあれ
という、かの有名な無邪気にして邪悪な
甲高い子供の声
遠い獣の声が追う
「いったい誰の許可を得て公表している?君の行為の蓋然性を問おう!」
婆のこれまた威圧感のない薄っぺらい知性がね
獣の正体だろうかね
だとすれば私もまた獣の薫陶下であろうという
あの朔太郎のジレンマと自負とが
遠くこだましている場所がここ、
現代詩という舞台なのだよ。
血なまぐさい脈絡の末に
ここに成就する、機智。
婆さ、婆こそお勉強の続きを早くやりなってよ。
何を言っているんだね?君こそ
笑い出し、ハラ痛し、祓いたし
片腹痛し
行きっこなしよ。
盆に返らず。
そこらへん水浸し。
どうしてくれるんだよ
片付けるのはいつも私なんだけど。
とおあある、やわあ!
 
 
※ 萩原朔太郎「遺伝」(旧字体)に敬愛を込めて。

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