レニングラードのストレンジオグラフィ—管啓次郎さんに 石田 瑞穂

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石田詩131227-2
石田詩131227-3

レニングラードのストレンジオグラフィ—管啓次郎さんに 石田 瑞穂

さっき市場で 六百ルーブルで買った
旧式のミリタリーブーツをさわる
羊歯がその凍った波音で、ぼくを
地面に呼び戻そうとする。
見たこともない小鳥たちが 鼓動一回分だけ
立ち止まり、雪道のうえにも
蜃気楼をつなぐ。森には
いつだって 極微の伝説が生まれる。
北極星の針穴 雪を被ったマイヅルソウの
まさにいまこれから
舞いあがろうとする銀の葉のうえに見つけた、
タケネズミ一家の
移動の足あと。森は静けさの喉の奥で
形のない変身への第一声をあげる。
留学生だったサーシャは自然観察用とおぼしき
古びた露日辞書のページを、
鹿革の手袋をはめた無骨な指先でめくる。
彼女はいま言葉の森のハンター
ロシア人特有の やや度がすぎた几帳面さで
辞書の銃眼から森をゆっくりにらみ、
ページを渡る風を計測し あれは モミ です
とおごそかにトリガーを引く。たしかに、
トドマツはモミ属。これは 
ホボーシュ イノシシがよく食べています。
トクサはロシア語でホボーシュ、
東北の水辺でよく見かけた頭のないアスパラガス
ムーミンのニョロニョロに似た青臭い茎が
耳もとに浮かぶ。ぼくはなんだか嬉しくなって
道々 ホボーシュ ホボーシュ と口ずさみ、
やがて歌いだしながら 歩いてゆく。
じゃあ この胡桃は?
ええ それは マンジェルノ。
マンジェルノ マンジェルノ、
なんだかおいしそうな名前だね。
はい ウオトカに三年漬けると
ふわふわのお餅になっておいしく食べられます。
森の奥底から通奏底音のような
ボホー ボホー という鳴声が聴こえる。
あれはなに? あれは ええと、
鳴かないウグイス ですね。
こんどは 鳴かないウグイス! ぼくはその
日本語には存在しないじつに詩的な鳥名に
びっくりしてしまう。
いいえ いいえ 待ってください
やっぱりカッコウ、カッコウ です?
断言と疑念が入り雑じる 八割方は幽霊的な構文が、
日本語だとすんなり意味がとおって
聴こえてしまうのだから なんだかおかしい。
カッコウはそんな声では鳴かないよ。
そういえば昨日 赤の広場からの帰り
きみはバニャで地平線に刻々沈んでゆく
黒い太陽を見つめながら、長い睫毛を伏せがちに
こんな話をしてくれたっけ。
わたしたちロシア系ユダヤ人は
伝統として物や樹や雲や 小石の物語を
聴くのです。ですからクラースナヤ
プローシシャチに行くと、
ついあの壁たちに どんな音を聴いた
ことがあるのか 尋ねてみたくなります。
ぼくはといえば そのバスタオルのしたで
大きくふくらんだ きみの乳房と、
寒さでそり返り 怨ずるようにとがった乳首が
どんな音を発させるのか 気が気じゃなかったけど。
ねえ サーシャ 音というものは
いつだって ぼろぼろの幻をはりつけた
魂の内壁にすぎない。それでも、
ぼくの耳の外にあるやわらかい月
そのオウム貝のうえで
鳴かないウグイスたちが
ここでも彼方でもなく
つぎつぎ孵化し 羽ばたきはじめている。
詩人としてのぼくの祈りは
言葉が裸にされてしまうこと、
文字が音符にまで解体され 奇妙にもまぶしい
無音の国際音標文字であること。
括弧だらけの枯れ草のうえにちらばった
スグリの紅い実と折れ枝の通信緑。突風のごとく
上昇するオオアジサシの群れが巻きあげた
粉雪は、森の十字架に見える杣道の十字路でぶつかり
七色に音声化する。でもさ、 
鳴かないウグイスって ほんとうに
ロシア語にいるの? 彼女は冷たい清流に浸かった
ヘビイチゴを思わせる、熟れかけの唇を
とがらしていう。
だってえ 辞書にそう書いてあるけん!
 
               連作詩「耳の笹舟」より

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