水曜日の木   未補

第7回詩歌トライアスロン三詩型鼎立作品連載
水曜日の木   未補


木に生まれ変わったわたしは
ひどい遠視になっていた
おかげで星ばかりがちかくに見えて
あたらしい星座をいくつも見つけた
二月十日の夜明けのすみに
セロリ座を見つけたとき
この世で最後の始発列車が
する、と動き出した
産院の窓だけが
磨きたての湖のように
とおくにある
あまりにとおすぎて
ほとんど記憶でしかない
たぶん
わたしになるまえの水曜日が
跳ねながら歌う
(月、洗濯、まるいもの)
とうに滅びてしまった
エスペラント語で

ミシンでさえ
空に還してしまった
この街に
ふさわしい黙祷は
せせらぎにかき消され
背骨だった幹が
右手だった葉と
左手だった葉を
さめざめとのばす
ありもしない口づけも
ありもしない喃語も
いつだって半オクターブ未満の
ずれ、葉擦れ

みみもとだけが
雪を嗅いで
つまりはききのがしてきた
さまざまなできごとを
ようやくひとつの部屋に誂え
その床にまっさらな切符
(印字のない、という意の)
を置く
そして咲いたばかりの
言葉の
過去のない
言葉の
終点

次に目を覚ますときは
とっておきの
やさしい名前をつけてほしい
そして産まれた日の朝の
汽笛の長さを尋ねてほしい
そのときはじめて
あなたは思い出すだろう

眩しくもなく
痛くもなかったこと
かつては誰もが
木と呼ばれていたこと

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