詩を書き始めた高校時代(その後、何年かの空白時代が続くが)、川崎洋の「はくちょう」や彼の他の作品からは、強烈な印象を受けた。現代詩というものに触れた最初だから尚更のことだ。こうして何十年かたっても、川崎洋はやはり初恋の詩人の一人である。
星が海の上にびっしり 星は瞬くまに またびっしり星を生むのではないか
少女はいろいろな夢に出入りする為に見えない速さで星の間を駆けてすり抜ける
その度に星はまた星をびっしり生むのではないか
星のほとりには疾り過ぎながら少女が揃えた少し長い指で切っていく谷あいの流
れや 疾り過ぎながら激しくちぎられる果実などがあるのではないか 或いは思
い掛けない 林の疎らな間から見える朝靄の下に沈んだ青い村落などが
その度に海面に一すじのしわが縒り やがてそれは動いていって濡れた土器の缺
片などの散らばる岸をはたりと叩くのではないか
さそり? 誰がそのように星をつらねた(「星が又星を」から部分)
川崎洋の初期の詩を読み返してみると、このような無垢な抒情詩を書く詩人は今いるだろうか、と改めて思う。「抒情」と書いたが、これは従来の抒情詩とは一線を画していると考えてよいだろう。川崎洋はいわゆる、個人の感慨を日本的な感傷に包みながら述べるのではなく、個人の感覚を宇宙に溶かしこむために言葉を使う、ということを意識的に行った詩人である。ここには言葉への信頼性といったものが見られるように思う。言葉は伝えられ、また言葉は響き合うのである。この傾向は川崎洋が拠った同人誌「櫂」の詩人たち、すなわち茨木のり子や谷川俊太郎、大岡信、吉野弘等、それぞれに見られる。それらの詩は、世界が閉じられてあるのでなく、世界はあかるく開かれている。
あの鳥
あの鳥がはばたけば
鳥より先に
空が飛び
あの鳥がくちばしを開けば
鳥より先に
世界が歌い出す
あの鳥(「鳥」全篇)
戦後詩を云々するものではないが、戦後詩誌を代表する「荒地」と比べ、「櫂」に拠った詩人たちはどこか「遅れてきた詩人たち」といった感があった。が彼らの詩の振幅の広さ大きさ、そしてそれらが後世に及ぼす影響力は、五十年以上たった今、「荒地」の詩人たちよりも強いものがあるのではないかと考えられる。
川崎洋は、詩作の傍ら、脚本家としても活躍を始める。同時に彼は、「ことばの力」の方向へ向かう。方言詩を集めた、『方言の息づかい』(草思社、1978)や『ことばの力』(岩波ジュニア新書、1981)『悪態採録控』(思潮社、1984)などに見られるように、川崎洋は求心的な言葉ではなく、遠心的な言葉を追求した、といってよいかもしれない。
高校生の頃だったろうか、あるいはもっと後だったかもしれない。ある日、ラジオを聴いていると、NHKのドラマ番組が流れてきた。川崎洋の『魚と走る時』であった。その時の、水に吸い込まれるような心の揺れが、今も鮮明に思い出される。
作者紹介
- 宇佐美孝二
1954年愛知県生まれ 中日詩人会、日本現代詩人会各会員、「アルファ」同人。詩集に『虫類戯画』『ひかる雨の降りそそ庭にいて』他、アンソロジー詩集等。最近、自然観察活動の機関紙に、朗読詩の転載を依頼された。