店先にナイター映る風呂帰り 二ノ宮一雄
パナソニックショップなどの昔からある町の電器屋の前を通っただけなのかもしれない。店先には家電の代名詞であるテレビが飾られているのであろう。しかし、それは大きな液晶、省エネ機能、3D映像機能を搭載しているような新商品ではなく、二三年前に発売されたような少し古めのテレビ。
作中主体はそこに映された野球に見入ることなく、足早に過ぎ去っている姿が描かれている。「映る」という修辞の効果であろうか。「あ、野球中継しているやん。どっちが勝っているのだろう」程度の関心であり、「ここで打ってくれ、頼む」といった熱狂的な応援をテレビの前でしているように思えないからだ。また、「風呂帰り」のさりげなさがいい。著者の第一句集『水行』(平成二十四年、東京四季出版)に収録。他にも気になった句をいくつか。
入院の母と見てゐる金魚かな
一湾のひかりをまとふ松手入
蟷螂の枯れて大名屋敷跡
固まつて南天の実の暗さかな
海光の一部となりて冬鷗
水底の石磨かれて蛇笏の忌