青大将わたしは兄へ嫁ぎます 栗林千津
大好きな母のかたわらで過ごした頃のことども現在に新しければ、之を引き寄せ之を深く抱きて句境にあそぶや、大いなるもの天降り来りてわが句づくりを助けてくるるなり。
(注1)
青大将は人間社会に近い蛇だという。日本在来種で、平地に生息し、主に昼に活動するうえ、ネズミを補食することが多いため、人間がその姿を目にすることがあるからだ。
若い頃、筆者は山間地に勤務していたが、たまに青大将を見かけた。彼(彼女)は体育館の床下に潜り込んでいて、時折体育の時間に現れ出たりした。
姿を見たわけではないが、学習の一環で学校裏の林に出かけたとき、一匹分の脱皮した皮が落ちていて、それを生徒からもらったこともあった。財布に入れておくとお金に困らない、という話を聞いたが、効果の方はどうであったか。結局大きすぎて財布には入れられなかったのだが。
掲句は『火を枯れを』(1983年刊)に収録。栗林は栃木県河内郡で生まれ育ち、仙台市で暮らしていたので、青大将の姿を見る機会は都会より多かっただろう。
おそらくこの句は、幼い頃の実体験にヒントを得たものであろう。兄妹ふたりで外遊びをしていたとき、大きな青大将が現れた。おびえる妹。妹を気遣い、渾身の力で青大将を追い払った兄。そんな兄の姿に、恋ともいえぬ感情が芽生えた。「大きくなったらおよめさん」これは、周囲の大人の女性がほとんど主婦だった時代の、幼い女の子の合言葉だった(刷り込み?)。その対象として、身近な異性である自分の父や兄を想定することはままあっただろう。助詞「へ」が、兄への思慕の強さを示している。
いつしか妹は外部の異性と恋愛を経験し、ブラザーコンプレックスから卒業していく。この句のあっけらかんとした口調は、彼女が「健全な」女の子であった証拠だろう。
しかし、この句が思わぬ深読みを誘うのは、他ならぬ青大将(蛇)の存在が原因である。
青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜(『イヴ』)
兄のあと追えばゆたかに青大将 津沢マサ子(『楕円の昼』)
青大将はそのぬめぬめとした肌や、生々しくくねる姿態から、性の象徴と捉えられることが多い(むろんフロイトの影響や、生命力の強さゆえ強壮剤として用いられるためもある)。鳴戸や津沢の句は、そのことを下敷きとして成立している。
鳴戸の句は、イヴとアダムを誘惑し、二人に肉体的な契りを結ばせた仲立ちの「青大将」の存在が際立っている。
津沢の句は「青大将」が「兄」の性的成熟を示し、それゆえ兄の後を追えない「妹」の戸惑いが表出されている。
名句は「作者が狙ったより奥の的を射当てている句」という意見がある。そこから考えるに、栗林の句は成功していると言える。
作者栗林千津は明治43(1910)年生。平成14(2002)年没。「みちのく」「鶴」「鷹」を経て「小熊座」同人。句集は『鮫とウクレレ』等、生涯で十一冊残している。しかし、彼女の俳句出立は五十代からだった。
処女句集『のうぜん花』(1965年刊)について、栗林は以下のエピソードを述べている。
全紙和紙手描きの絵数葉を入れ全句筆書き、土葬を淋しがる母(97才で没)に抱かせて埋めた。
(注2)
栗林は生前、「今、おそらく墓を掘れば母の骨に抱かれた『のうぜん花』があると思いますよ」
と語っていたそうだが(注3)これほど美しい逸話のある処女句集は稀であろう。死後の世界へ赴こうとする母の鎮魂が目的の句集。そこには母への深い感謝と愛情が感じられる。
カナリヤと分つ冬菜を洗ひけり 『のうぜん花』
百鬼みな白菜となり姥捨山 『火を枯れを』
まひまひやむかし私は弓なりに
春らんまんおのが首なき日なりけり 『羅紗』
神様も鳥も素足や枯木立
死んでから背丈がのびる霞かな 『幌』
火葬のとき熱いのはこまる万緑 『蝶や蜂や』
泉辺に棲み荒星を殖やさむか 『湖心』
カナリヤの句からわかるように、初期の栗林は素直な写生句が多い。しかし句業が深まるにつれ、ユーモアの精神とメルヘンチックな心情が底流にありつつ、現実と空想の世界が混在し、時折死に神の姿が現れ出る、独自の句境に至るのである。
死への意識の強さは、後半の人生が病魔から逃れられず、通院の「車の窓から見る外気との触れ合いが私にとって唯一の句材の与えられるチャンス」
(注1)という生活環境も大きかっただろう。数少ない句材と真摯に向き合い、「深く抱きて句境にあそ」
び、自身の「詩」をていねいに掬いあげた栗林。
そんな彼女の絶唱は以下の句である。
雲の峰上手に死んでやらうかな 『鮫とウクレレ』
(注1)「土竜日記」栗林千津
(注2)『栗林千津句集』(ふらんす堂)
(注3)『鑑賞 女性俳句の世界第3巻』「のうぜん散華」大木孝子