自由詩時評 第86回 野村喜和夫

自由詩時評

 東日本大震災から2年近く、すでに夥しい数の震災詩が書かれたことだろう。そうしたなかで、最近、ふたつの注目すべき問題提起があった。ひとつは季村敏夫の『日々の、すみか』(書肆山田)の新版が刊行されたことである(2012年12月)。いうまでもなくこの詩集は、1995年の阪神大震災に際して書かれた詩のうち、そのもっともすぐれた成果のひとつに数えられる。いや、たんなる震災詩を超えて、抒情と証言とがわかちがたく結ばれた希有な詩的結晶といってもよいかもしれない。それがいまになって再発行されることの意味とは何か。
 もちろん批判の視座の提供である。なぜなら、いま述べた「すでに夥しい数の震災詩」、その大半はおそらく、情緒的な反応や理性的な対応を書いたものにすぎないであろうからだ。それに対して『日々の、すみか』は、災厄にさらされた一個の無力な身体という地点から、なにも叫ばず、なにも訴えず、ただただエクリチュールにのみ賭けた言葉の真実が、そのまま他のなにものにも還元不可能な輝きを放っている。詩とカタストロフィーをめぐって、和合亮一の『詩の礫』がひとつの極をなすとすれば、もう一方の極に季村敏夫の『日々の、すみか』があることを忘れてはならないということだ。和合の、即時性においてすぐれ、いかにもバイタリティにあふれた強い言葉は、表象可能性とやや無媒介的に結びついているぶん、知らず一般性へと解消してしまうきらいがある。ひろく大衆に発信するためには、むしろそうした解消が不可欠だろう。一方、季村の言葉のほうは、はじめから表象可能性をやや諦めたようなところがあり、それだけに弱い力だが、しかしまた同時に、いつまでも表象一般から単独なものへのずれ、もしくは差異としてはたらくという逆説的な強さも有しているのである。それはタイトルにも端的にあらわれている。「日々のすみか」ではなく「日々の、すみか」と、名詞連辞のあいだに読点を挟むことによって、詩人は、「そえがき」で鵜飼哲も書いているように、「時間(「日々」)と空間(「すみか」)の間に、いっさいの「所属」からの「ほどき」の経験を刻みつける」のだ。こうしたずれ、こうした間隔から、ひとはボディーブローのような衝撃と感動を受ける。「祝福」というアイロニカルな題をもつ詩篇から引こう。

 出来事は遅れてあらわれた。月夜に笑い声がまき起こり、その横で顔を覆っ
 ている人影が在った。おもいもよらぬ放心、悲嘆などが入り混じり、その後、
 私達のなかで出来事は生起した。

 カタストロフィーそれ自体から何かしら内的な「出来事」へのこの「遅れ」の意味深さについて、われわれは何度も思いを巡らさなければならないだろう。そこでこそ、証言と抒情は結び合うことができるのである。
 もうひとつの問題提起は、杉中昌樹の個人誌「詩の練習」第4号「希望」(2012年10月)に発表された小笠原鳥類の詩「希望に向かって這うもの」である。小笠原は被災地釜石の出身だが、3・11当初は深い恐怖と不安に襲われて、震災について想起することさえできないほどだった。いうところのPTSD。いや、おそらく彼は、頭やハートでは捉えられない、われわれの存在のもっとも深いレベル、人間的というよりは動物に近いレベルで震災を受け止めたのだ。内臓的な恐怖と言い換えてもよいかもしれない。あるいはunheimlichな感覚、あるいはラカンの現実界にも比すべき表象しがたいものに触れたのだ。今回の詩も震災に直接取材したものではないが、彼が経験した内臓的な恐怖がなまなましく表出されているような気がして、これも「すでに夥しい数の震災詩」に対して、なにかしら批判の力になりえているのである。

 トカゲの皮膚の、いろいろな模様。おお、
 このウルメイワシが希望だ。逃げた
 ワニを探す人達は希望の光を追っている。
 ワニ、光っている。おお。

 長い詩なので、結末数行のみ引いた。希望とは声高に語る言説の対象ではない。希望とはワニが光ることだ。といって悪ければ、そこに向かって爬虫類のように、いや、爬虫類として這うしかないような何かなのだ。動物への生成を通して、恐怖が希望にくるりと反転しているのである。
 それというのも、希望とは生の残余だからである。前出杉中昌樹も同様のことを書いている。心にしみるその言葉を引用して締めくくるとしよう。「希望は余りものです。全ての価値、全ての善いもの、全ての美しいものが、放り出され、飛び去り、逃げ延びたのちに残されたもの、その残余こそが希望なのです。」
 以上、3・11のドキュマンには収まらないふたつのテクストを通じて、そのいわば意味深い迂路を通じて、われわれはよりいっそう、詩とカタストロフィーをめぐる真実の近傍にとどまるのである。

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