花曇り 中家菜津子
川沿いに続く満開の桜並木を歩き、唯一の樹を見つける。鳥の羽根、それが目印だった。
鮮やかなブルーとホワイトとイエローと、少し退色した赤いラインのレジャーシートを薄曇りの
空にはためかせ、桜の根元に虹を架けるように敷く。太い根っこのでっぱりは、くびすじに沿う枕。
川と、桜並木と風に平行に寝そべった体は今、春のラインを描く。
ごらん、誰かに促されたような気がして、対岸を双眼鏡で覗くと、ビルの陰になる樹にはまだ
蕾も多く、そのうちのひとつは小さな時限爆弾だった。花ひらくその瞬間に時が砕かれたのだ。
川の流れは風のように向きを変え出鱈目になる。樹の影から突然現れた妹が爆風とも知らず、春
風に乱れた髪を束ねると、一歩、歩むごとに幼くなってゆく。こちら側の私が見つめる双眼鏡の
レンズの上で、枝を拾い集めるランドセルのわたしと、花冠を頭に載せた妹が出会う。わたした
ちは歌いながら、小さな銀色のシャベルで樹の下に見つけた蟻の巣を発いた。月長石の煌めきで
無数の卵が黒土から覗く。夕刻になり娘たちを迎えに来た母は蟻のために喪服を着ていて、弔い
の儀式なのか、咎人の告発なのか、小さな白い貝殻の首飾りをかけてくれた。黒いネクタイを締
めた父は降りやまぬ花びらの空を大きな翼のように背負って、産声をあげている妹を抱き上げる。
四人は土手の向こうの小さな駅舎から青い夜行列車に乗ることを私は知っている。ソメイヨシノ
の北限を超えて小さな町に移り住むために。
*
さくらばな
千朶万朶の雲の花から
生い立つ精氣に匂いなく
霧の密度でたちこめて
空も時間も塞がれて
窒息しそうなあおい肺
金魚のようにくちをひらけば
唾液のやまぬ微熱の舌に
硝子の温度に冷えたひとひら
*
うす紅に春のまなこはおかされてさくら、さくらんしているの
はなびらは雪の骸か一片もかたちを失うことなくつもる
ラムネ壜越しにのぞいたさくらばな町はすみずみ泡立っている
さんざめくめまいのなかのあやうさにビードロに歯をたてるゆうぐれ
花疲れあなたの肩の片方はひかりを弾くもうひとつの月