君は日の子われは月の子顔上げよ 時実新子(1978年 『月の子』所収)
川柳に書かれる真実は現実の中に浮き沈みしている欠片のようなものである。時実新子は、この現実から抽出した真実の欠片を読者と広く共有できる言語空間へ放つことに成功した作家である。川柳のスタイルに人間を詠むということがよく言われる。一番詠みやすいのは自分自身であるが、社会を詠むことも事象が自分を通過することに変わりはない。社会を詠む場合は他者との共通点が最初からありそこから言葉が発展していくが、新子のように全く私的な物事を詠みながら、それを読者と共有できたのは、言葉自体の持つ普遍性を直感的に知っていた彼女の天性といえるだろう。
掲出句は『月の子』の句集名にもなっている。この句は句集の中で無造作に配置してあった。各章の最初でも最後でもなく、全句を読まなければ遭遇しないところにある。「君は日の子」に対して「われは月の子」の表現は、戦後間もない時代であれば(あるいは年代によっては)天皇家が日神の子孫であると考えられてきた歴史上、それを冒涜した表現だと言われかねなかったかもしれない、などとふと思った。句の配置のことを考えていたからであって、もちろんこの句が生まれたのはもうそんな時代ではない。では、新子の思う「日」と「月」は何を指しているのだろうか。古来より太陽や月はアニミズム信仰の最たるものであり、日本は太陽信仰が主流であったことは民族学者の著書などによって一般に広く知られている。この太陽信仰や、和歌や暦に溶け込む月信仰の存在を句の背景に持って書いたのだろうか。想像だが、新子の心情には天皇家や信仰などは欠片も浮かばなかったのではないか、もっと原初的な単純なイメージとして太陽と月は男女の象徴として浮かんだのではないかと思われる。しかし、そこからが新子の天性といえる言葉運びで、日本人の太陽や月に対する普遍的な情感を意識させ得る「~の子」という希望の言葉を引き出し、「君」も「われ」もあなた自身のことなのだと、読者を惹きつけていくのである。「顔あげよ」がどれだけ効果的に読者の心に響くかを熟知した作品だといえるだろう。「日」の句語を使用した句は句集の中にいくつか見られたがこの句のように太陽を指したものはなかった。たとえば、下記の句のように多くは日々の営みが書かれている。
動かない日に切り落とす烏賊の耳
思われて憎まれる日の紫陽花よ
たましいを撫でてやる日のうす曇り
死ねる日が来たので冬のバッタとぶ
時実新子は森羅万象、すべてを自分という人間に関係づけることが川柳だと、作品でその川柳観を表現している。渡部可奈子が言葉を信頼する作家であったのに対し、時実新子は言葉を心得る作家であったと思えるのである。