戦後俳句を読む (24 – 3) 戦後川柳【テーマ:魚】/清水かおり

弱肉のおぼえ魚の目まばたかぬ  渡部可奈子    (1938~2004) 

「水俣図」と題された10句構成の句群の冒頭に書かれた句。

水俣病は、高度経済成長の影の産物として歴史に刻まれた公害病のひとつである。熊本県水俣市にあったチッソ工場の廃液投棄によって引き起こされた水銀汚染は、水俣湾の魚貝類への生体濃縮により近隣の漁師や住民に深刻な水銀中毒症を発症させた。発生当時、奇病として扱われたため患者や家族への偏見なども生まれ、苦しみは想像以上のものであったと聞く。患者の発生は1950年~1960年頃に集中していたが、政府が公式に公害病の認定をしたのは1968年。その後、患者の救済には長い年月が費やされた。

掲出句、当時の社会的弱者を「弱肉のおぼえ」とした表現力に目を瞠るものがある。「おぼえ」という句語によってその裡なる無念が言いつくされている。まばたきをしない魚の目は水銀に侵され身体の自由を奪われた中毒患者のそれのように私たちには見える。公害病認定がされてからテレビで放映された水俣病患者のドキュメンタリー映像は衝撃的なものであった。句を読む度にそれが甦ってくるのは可奈子の高度な文学的描写によるものだろう。「水俣図」は可奈子が川柳ジャーナル時代に発表され、1974年に第3回春三賞になっている。一句一句にかけられた時間が伝わってくる句群である。

「水俣図」 
弱肉のおぼえ魚の目まばたかぬ 
抱かれて子は水銀の冷え一塊
夜な夜なうたい汚染の喉のかならず炎え
覚めて寝て鱗にそだつ流民の紋
つぎわけるコップの悲鳴 父が先
ぬめるは碗か あらぬいのちか夜を転がる
手から手へ屍はまみれゆくとしても
やわらかき骨享く いまし苦海の子
天までの月日の価 襤褸で払う
裸者のけむり低かれ 不知火よ低かれ 

1979年『欝金記』所収

渡部可奈子の群作では「飢餓装束」が特に印象深く評価も高い。「飢餓装束」が内面昇華へ向かう厳しさを湛えた句群であるのに対して、「水俣図」は時事と向き合う川柳の表現の幅、深さを考えさせる。詩性川柳と呼ばれる句が社会や事象とかけ離れたものであるという川柳人の安易な認識を改めさせる作品と言えるだろう。

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