私の好きな詩人 第57回 – 入沢康夫 – 財部鳥子

入沢康夫短詩集『楽園の思い出』のこと

 「入沢康夫愛唱詩集」なるものを制作したいと思っていたのはいつのことだったろう。パソコンでウィキペディアに当たってみると、入沢康夫短詩集『楽園の思い出』は1994年に私の編集で出版されている。『ランゲルハンス氏の島』や『わが出雲・わが鎮魂』『死者たちの群がる風景』などが出版された後でまとめられる小さい詩集が魅力的である。しかし、そういう比較的短い愛すべき詩篇はいくらかの狂気も孕んでいて初期詩集『夏至の火』『古い土地』『倖せそれとも不倖せ』などのあちこちにも散らばっているのだった。あるとき、私はとうとう詩人本人に冗談のように相談を持ちかけた。きっと断られると思いながら。

 一方、ある夏の日の今は亡き吉原幸子さんと入沢さんの思い出が並行してある。それは酔った吉原さんが入沢さんに「宵待草」を歌ってほしいとやや強引に頼んだとき、入沢さんが思いもかけず美しいボーイソプラノで歌いだしたことである。あの不可思議な演目は何だったのだろう。私はそのとき「愛唱詩集」が成立すると直感的に思った。

 やはり入沢さんは私の考えを了承して下さった。「しかし、何をテーマに編集するのですか」と疑問を呈されたが、私には自分のための愛唱詩集なので背骨になるような理屈は見つけがたかった。それもまた入沢さんは暗黙の裡に分かって下さったらしい。少年時代の同人誌『嘘』を貸し出しても下さった。それで私は世にも稀な入沢康夫短詩集『楽園の思い出』を編集出版することができた。

 百部限定の本には自筆の詩が一篇入っている。その詩のほとんどは発表されたことのない少年時代の詩である。それも一冊ごとに違うオリジナルだった。

狐 
 
 
すすき原を 
壁土色の野末を走っていく狐 
むにむさんに生きていたかった 
 
おもいを走ることにだけひそめ 
遠(とお)山脈(やまなみ)のかげにあこがれては 
ともすれば 
草に跳ね 草に滑った

 那珂太郎さんは「よく編集してあるけれど旧仮名遣いでなかったことが残念です」といわれたが、私も今はそこが残念である。思潮社の小田久郎社長がパルコ・パロウルで売って下さったがすぐに売り切れてしまった。

 後記に「入沢さんの長編の詩が月見草の上の八咫鴉の大きな影であるならば、八咫鴉の大きな影の下の月見草のような『入沢康夫短詩集』ができあがった。」と私はうれしそうに書いている。いまは手元に一冊だけある。

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