季語・季題をめぐる緊急集中連載⑤  小諸は日盛り(東京新聞・中日新聞7月21日夕刊「俳句月評」より転載)/筑紫磐井 

明治末期の俳句界は実作で活気づいていた。まず、明治三八年二月より河東碧梧桐は、作句力旺盛な青年俳人たち、小沢碧童、大須賀乙字、喜谷六花等を中心に連日の句会を行った。これが「俳三昧」であり、「三昧」とは仏教用語で禅を意味し、俳句に専心するという意味であった。こうした句会の成果が、後年「新傾向俳句」として開花することになる。

一方、碧梧桐派に対抗して、明治三九年、高浜虚子は東洋城らを交えて句会「俳諧散心」を開いた。「散心」も仏教用語であるが、気を散らすという意味で、碧梧桐の三昧に対するアイロニーであった。当初は毎月曜日に集まって句会を開いたという。この会は、間をおいて明治四一年八月、第二回目の俳諧散心がホトトギス発行所で開かれた。今回は八月一日から三十一日まで連日猛暑の中で開催され、このため「日盛会」と名づけられた、参加者は松根東洋城、岡村癖三酔、岡本松浜、飯田蛇笏らであった。

碧梧桐、虚子がライバル意識を持ち、それぞれの党派を率いて実作に臨んだ最初の対決が、これら俳三昧・俳諧散心・日盛会であった。これらの句会で、虚子派からは〈金亀子擲(なげう)つ闇の深さかな 虚子〉〈凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり 虚子〉〈黛を濃うせよ草は芳しき 東洋城〉の名句が生まれている。

現代においてこうした実作における熾烈な体験がやや乏しいのではないかと考える本井英の提唱で現代の「日盛会」を目指し、数年前から「日盛俳句祭」が開催されている。特に三年前からは、虚子が戦争中に疎開して縁の深い小諸市に場所を移し開催し、二百人近い参加者を得ている。今年も、七月二七日から二九日までの三日間、小諸市民会館等で実施される。

特に今回注目されるのが、「俳句祭」の中で開かれる季語シンポジウムで、二十四節気(立春や立秋)の見直しについて論じられることだ。この問題は二月の俳句時評で触れて以来、俳句総合誌や新聞でも大きく論じられているが、今回このシンポジウムに、二十四節気の見直しを提案した日本気象協会が参加して俳人と意見を交換する。俳人にとっては、気象協会の意見を聞き、直接意見を述べる貴重な機会だ。思えば、虚子も、「俳句とは季題を諷詠する詩であります」と述べたぐらい季題(季語)を重く考えていた。虚子ゆかりの場で、熱い汗をかきつつ、季語について論じ合うことは、明治の熱気を追体験することにもなるであろう。なお俳句祭実行委員会ではインターネットでも「二十四節気アンケート」を行っている。多くの俳人の意見が集約されると思う。

「二十四節気アンケート」http://enq-maker.com/bYKDuEo

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