詩人のなかには、どこが凄いのかよくわからないのに、それでも目がはなせなくなって、気がつけば熱烈なファンにさせられている、そんな詩人がいる。現代詩人としての安東次男は、吉岡実や田村隆一などと違い、未だ評価の定まっていない、否、定められない詩人だと、ぼくは思う。自分の世代で安東を読む人をあまり見かけないし、若い人には「あんつぐさんて、だれ?」なんて言われかねない。
洋の東西を問わず、文学、伝統芸能、美術、骨董、さまざまなジャンルを深く渉猟し、鋭利な評論をのこしたのに、みずからは方法ともイズムとも無縁だった詩人。安藤元雄が指摘したように、「その貪婪な視線にもかかわらず、どこかたどたどしい語法をもった詩人」。中心を避け、完成を棄却し、ながいながい時間をかけて変貌を決めかねている詩人。
十一月の自然は
いろんな形の鍵を
浅く埋葬する
裸の思考のあとに
もうひとつの
はだかの思考がやってくる
飢餓のくだもののあとに
ふかぶかと柄をうめる果実がある
その柄は
信仰のないぼくのこころを愕かせる(「人それを呼んで反歌という」より)
十数年前、神保町の古書店で安東次男と駒井哲郎の二作目の詩画集、一九六六年に限定六〇部でエスパース工房より上梓された『人それを呼んで反歌という』を見せてもらった。当時で三十万円以上の値を言われたが、こちらは一目惚れした弱さ。購った。つい嬉しくて、大泉学園の小料理屋・嘉こう家で重箱のお持たせをつくってもらい、樽だしの黒龍を一升と、スコッチと一緒に持ち帰った。詩画集をためつすがめつしながら、朝まで呑み明かしたものだ。ある日、家に遊びにきた画家の石田尚志さんに、なかば自慢して見せたところ、いつまでも食い入るように無綴の画集をめくっている。その後、尚志さんからは「あのときのお礼に」と、彼の小品をいただいてしまった。
『人それを呼んで反歌という』をはじめ、蝟めた安東次男の詩集を読むと、その詩はほとんどすべて余技だったのではないかと思えてしまう。骨董の鑑賞があるように、安東の詩を鑑賞する視線が、そのまま彼の詩のかたちをなしていく。書くことが限りなく読むことに近い詩。そうした空想もあいまって、ただ無心に詩書を傍に置きたくなり、ゴロンと寝ころんで読み耽ってしまう。だれもイズムを学べず、真似もできない。
それからまた数年の後、高橋睦郎さんのお宅に招かれたとき、「ぼくの骨董の師匠だったんです」と、安東次男伝世の古唐津盃を見せていただいた。つい酒をそそいで、湿りをおびさせたくなるような、カリっとかせたいい肌合いの筒盃だったように思う。それは自分でかわいがるより、客人にこころおきなく酒を呑んでもらうための盃と感じた。