オランダから日本へ ~望郷の物語~
英語短歌を学ぶやうになつたのは、『国際化した日本の短詩』(共著・中外日報社2002)の著者川村ハツエさんとの出会いからである。交流を持たせていただいてゐたが、ご病気のため数年お会いしてゐない。和歌と同じやうに英語短歌の楽しさを知ることができ、今こうして英会話の先生をしてゐられるのも川村さんといふ目標があつたおかげだと思ふ。
川村さんの関わる英語短歌の活動団体に「Tanka Jornal」 がある。来年の2012年で創刊二十周年となる。先日、「Tanka Jornal」にオランダにお住まいの歌人モーレンカンプ・ふゆこさんが招かれるといふことで、結城文さんからお誘いをいただいた。海外での短歌活動の状況を、キャリアのある方から直接日本語でお伺いする機会は稀である。会場には会員以外にも公聴者の姿があつた。
モーレンカンプ・ふゆこさんは大学を卒業後、四十五年間海外生活をなさつた方で、多彩な経歴には国連事務員まで入つており、今の時代の人からみても憧れの存在である。しかし、その道のりは平坦なものではなかつたそうだ。彼女の半生はラジオドラマ「止まつてしまつた時計」としてドキュメント化されてゐる。既に放送が終了したものだが、オランダの文化と日本文化の不思議な融合を感じ取りながら、物語を堪能できるので機会があつたら是非聴いてみていただきたい。
歌集『還れ我がうた』は美智子皇后様の愛読書でもあり、お電話でのやり取りの経験があるそうで、オランダご訪問の際は直接お会いになることもあつたそうだ。
国を出しとき止まってしまった我が時計巻いても巻いても二十二歳
我が敵は砂漠の地平に現わるる絶望という蜃気楼なり
彼女の歌には、会話体としても成立する散文的要素もあるが、境遇も伴つてか、和歌のやうに心情を率直に述べた歌が人の心に寄り添う。また、同じやうな経験を持つ人々にとつては、懐かしい痛みや、いとおしい感情として届くのだらう。彼女自身も海外生活で多くの人に出会い、その人たちの喜びや悲しみに触れることで人に寄り添う歌の文体が成り立つたのではないかと思ふ。
彼女の場合、結社や先生について短歌を学び、学友と批評をし合うなどといふ経験をしてゐない。歌の文体や、モチベーションを育て保ち続けてきたのは、海外へ出たときの詩を書きたいという気持ち、良質な作品を読むこと、日本への望郷の想ひだ。
新聞短歌の投稿を経て日本との細い糸が繋がるまでの長年の望郷の念といふのは、和歌時代の歌人が都に想ひを馳せる気持ちに似てゐる。喜怒哀楽だけでは言い表すことができないものを祖国といふものは持つてゐる。
一首目の「国を出しとき」は回想詠である。「我が時計」とは母国である日本で清算をつけずに残したものすべてである。「巻いても巻いても」の繰り返しには二十二歳の頃から今の自分へ引き寄せやうとしても引き戻すことのできない遠さや長さが表現されてゐる。
二首目は日本にも帰れず、暮らす場所も祖国ではない孤独と、自らを支える強い心の拮抗が、「我が敵」として表されてゐる。また「絶望という蜃気楼」には自らが作り出してゐるものだと鼓舞する姿がある。
イベントは、モーレンカンプ・ふゆこさんのお話と朗読、「Tanka Jornal」の人々の朗読で幕を閉じた。会場の後方では歌集や書籍の販売があつた。また、手作りの風景写真入りカード歌集が30種類ほど置かれてゐた。目にも楽しかつたが、彼女が日本といふ土地に根を伸ばしてゐることを実感させられた。その場で僕も2枚ほどカード歌集をいただいて帰つた。
彼女の経験は特別なものかもしれないが、海外では日本語で作歌をする人が多くゐる。なかなか紹介される機会は少ないが、今後もすこしずつ国際的な短歌について話す機会を持ちたいと思ふ。
Mission
To encounter you.
You, like a tiny leaf, must be
swimming against the current.
Haruna Rei (translation by Naoki Mtsuhashi)
木の葉ほどちいさなからだを進ませて迷うあなたに出会わなくては 玲はる名