短歌時評 第52回 齋藤芳生

石川美南『裏島』『離れ島』批評会

半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ     石川美南『砂の降る教室』
講堂に積もりゆく砂(一年も経つたらみんな飲まれてしまふ)

 2003年に出版された石川美南の第一歌集『砂の降る教室』より。この歌集のタイトルともなっている巻頭の一連「砂の降る教室」は、作者が実際に学んでいた大学の、移転が決まった古い校舎が舞台になっている。
 建て替えられる寸前の古い校舎で学生時代を過ごす。それは、「とても珍しい」と言えるほどの経験ではないだろう。しかし、石川美南という歌人の豊かな感性と想像力は、まさにこの一連で歌われている「砂」のように、実際に古い校舎で過ごした経験を――「部屋」も「教授」も「講堂」も――覆い、呑み込み、全く異なるものとして作りかえてしまう。

 4月28日、中野サンプラザで開かれた石川美南の「双子の」歌集である、『裏島』『離れ島』の批評会に参加した。東京と京都、二カ所で開催されるその一回目である。東京の部の司会は大井学、パネラーは今野寿美、斉藤斎藤、関悦史、高木佳子の各氏。100名近い参加者が集まる盛会であった。

 石川作品を語る際のキーワードとしてよく上がるのが、「物語」や「虚構」である。今回の批評会でも、大きなトピックの一つとなった。『裏島』『離れ島』を読むにあたって改めて石川美南の第一歌集『砂の降る教室』を読み返してみると、石川の歌は決して何もないところから生み出された「虚構」ではなく、自分が日常生活の中で五感をフルに使って感じたことを、自らの裡に取り込み、咀嚼し、反芻し、消化し、吸収した上で、歌としてつくり直している、つまり、「私」を起点として発想をひろげ、新しい世界をつくり上げようとしているのだということがわかる。「砂の降る教室」の一連よりもさらにそれがわかりやすいのが、植物を題材とした歌だ。

四六時中見らるるは憂し明け方は肩回しなどしてゐる桜      「桜」
どつちにもいい顔してと責められてふくれてしまふやうな菜のはな 「はるからなつ」
烏瓜木に木に下がり響きくる祭ばやしを身に蓄へつ       「はぷすぶるぐ、」

 「桜」も「菜の花」も「烏瓜」も、石川が日常の生活の中で目にしている物だろう。物言わぬ植物たちが石川の歌の中で、命を吹き込まれたように動き出すのである。そして『離れ島』でも、植物たちは大いに動いている。

夜になれば移動する木々(まづは根を)(つづいて幹を)国境(くにざかひ)へと  「漂流の記憶」

続きましてはけやきの芽吹き さくさくと春の野山の司会進行     「春の進行」

鉄道史……語るそばから伸び出づる異論・反論・春のつる草         「道」

 これらの歌が収められた巻末に登場する「物語集」は、石川のこのような歌の作り方の集大成ともいうことができるだろう。

捨ててきた左の腕が地を這つて雨の夜ドアをノックする話        「物語集」
「発車時刻を五分ほど過ぎてをりますが」車掌は語る悲恋の話
栗ご飯の栗の中よりふるさとの民話聞こえて、さびしき話 

 実体験から得た発想を一首一首の中でどれだけ豊かに表現することができるか、という試みでまとめられたのが『離れ島』だとするならば、同じような発想を「連作」として、どれだけ壮大な物語を紡ぎあげることができるのか、が果敢に試みられているのが『裏島』である。

パネラーの今野寿美が「短歌という詩形をより集めて、一連の構成の力で短歌の容量を拡大していく」と評していたように、「祖父の帰宅/父の休暇」では〈祖父〉〈祖母〉〈父〉〈母〉〈姉〉〈弟〉によって作中主体が文体と共に変えられ、また「鳥」や「大熊猫夜間歩行」では長い詞書が多くつけられ、既にそれぞれの物語が「短歌」という枠組みを超えてしまったような印象さえ受ける。

きしきしと金具鳴る音 この町に死者の数だけ鳥籠はある         「鳥」
ベビーカーにハチドリ低く群がるを振り払ひ、振り払ふ幻影
戸の向かうなにか羽ばたく気配して もう、この夢を抜け出なくては
縞模様(はた檻模様)描かれゐる路面を今宵しげしげと踏む 「大熊猫夜間歩行」

濡れた髪大きな旗で拭きながら放つておいてほしい、時には

真夜中の桟橋に立ちやさしげな獣に顔を噛まれたること

 石川が世に送り出したこの「双子」の歌集は、作歌方法について、連作のあり方について、短歌の「私性」について、また現代の20代、30代の若者たちの作歌方法や歌おうとする題材について、さらに東日本大震災以後の日本をどのように歌ってゆくのかについて、実に様々なトピックを提供してくれる。おそらく今後も多くの人々によって語られ、議論されてゆくだろう。
 石川美南歌集『裏島』『離れ島』批評会京都の部は、5月27日に京都教育文化センターで開かれる。

作者紹介

  • 齋藤芳生(さいとう よしき)

歌人。1977年福島県福島市生まれ。歌林の会会員。歌集『桃花水を待つ』角川書店

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