短歌時評 第53回 田村 元

『こどもたんか』のこと

本多稜歌集『こどもたんか』(角川書店)が出た。タイトルからも分かるように、子育ての歌をまとめた一冊である。子育ての歌といえば、俵万智の『プーさんの鼻』(文藝春秋)を思い出すが、『プーさんの鼻』には、全国の駅弁の歌があったり、弟の結婚の歌があったりと、子育て以外の歌も含まれている。一方、本多稜の『こどもたんか』は、歌集の全てが子育ての歌で構成されているという徹底ぶりだ。そもそも男性歌人による子育て歌集はめずらしく、きっと世間の注目を集めるに違いない。

本多稜には、第二歌集『游子』でも、

おつぱいをお腹いつぱいのみをへてぷはーとわれを見下す目をす

のような、ユニークな子育て短歌があり、今回の『こどもたんか』も刊行前からとても楽しみにしていた。さて、どんな歌があるか見ていこう。(なお、『こどもたんか』では新仮名遣いが採用されている。)

おっぱいを僕も欲しいと照れながら三歳は言い五歳は言わず
いもうとのとなりに寝ると争いて夜泣き三重奏とどろきぬ
補助イスの兄と妹踊りだしわが自転車は楽車(だんじり)と化す

歌集には娘の誕生から三歳の誕生日までの三年間の歌がまとめられている。「あとがき」によると、「主人公はこの娘と、その五つと三つ年上の兄弟の三人」であるという。掲出歌の一首目では、三歳と五歳の兄弟の母乳に対する反応の違いをうまく捉えている。幼児から少年へ成長していくというのは、きっとこういうことなのだろう。二首目、三首目では、三人の子どもに囲まれた賑やかな日々が切り取られている。「夜泣き三重奏」や楽車(だんじり)と化した自転車に象徴されるような、お祭り騒ぎのような子育ての日常(むしろ非日常といったほうがいいかもしれない)が、臨場感たっぷりで読者に伝わってくる。

あやしつつ仕事のことを考えておればにわかにぐずり泣き出す
妻ピリリ子らビリビリす週末に家に仕事を持ち込んでしまいて
ほうたるやたまゆら光り子とともに過ごす時間の幾ばくかある

男性歌人による子育ての歌といっても、いわゆる「専業主夫」の歌ではない。忙しく仕事に追われる日々の、週末の限られた時間での子どもたちとの触れ合いを詠んでいるのである。掲出歌の三首目に詠まれているように、仕事を持つ父親が、子どもに接する時間は、蛍の光のようにわずかな時間でしかないのだ。『こどもたんか』には子育ての歌しか収められていないが、その背後には、おそらく、膨大な〈仕事の時間〉がある。そこに思いを馳せるとき、ますます、子どもたちとの時間が愛おしく思えてくるのではないだろうか。

エッとオッつかいわけつつ父を呼ぶエッは早くぅオッはおねがい
一緒くたにままーと呼ばる一歳のむすめに父はかく映るらし
「まめー、まめー」とはもう言いてくれぬなりことば覚えてきっぱりと「ダメ」

こんな、「言葉」に着目した歌も、歌人ならではと言っていいだろう。一首目の「エッ」とか「オッ」とか、親子の間だけで通じる言葉や、二首目の、ひとくくりで「ままー」と呼ばれてしまう父親という存在。まだ世界のあらゆるものが未分離の、幸福な乳児期がそこにはある。三首目の「ダメ」のようなはっきりとした言葉を獲得することは、成長していくためには必要なことで、喜ばしいことのはずだが、どこか哀しさを感じる一首でもある。この子は、これからの人生の多くの場面で、自ら「ダメ」という意思表示をしていかなければならないのだ。もう、「まめー」では済まなくなってしまったのだ。

子育てにまさる旅など無しと思え我が来(こ)し方を目の当たりにす
まさに我がしたるがごとく弟のおもちゃを兄がパッと取り上ぐ
少年のわれがわからなかったことわが少年に説きいる河原

「あとがき」に、「子育ては発見の毎日。人生の復習でもある」とあるとおり、親というものは、子育てを通して、自らの幼少期を生き直すのだろうか。掲出歌の一首目は、まさにそんな思いを表明した一首だし、二首目では、子どものちょっとした仕草に過去の自分を重ねて見ている。子育てによって、人生が二重三重になっていくような感じが、歌集を読んでいると伝わってくるのである。三首目の河原での親子の会話は、人生と人生とが重なり合う、貴重な瞬間を切り取っている。どこか懐かしく、そして愛おしい一首である。

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