どんな気持ちも真実だつた~366日目の歌を読む
『366日目 東日本大震災から一年を詠む』を読んだ。
塔短歌会の東北に関わるメンバーによる小冊子で、昨年発行の『99日目』の続編にあたる。
佐藤陽介の「百の膀胱」七首がとても良かった。
この冊子の歌の掲載ページには、名前の後に出身地や在住所が記されている。佐藤は「福島県須賀川市在住」となっている。須賀川市は、福島第一原発から西南西方向に約五十~八十キロほどの位置にある。
燕、もう
という冒頭の一首に始まり、続いて子供二人をともなって実家へ連休を過ごしにきたらしい姉が詠まれる。四首目にはその子供たちの名前が詞書として置かれ、読者はゆるやかに家の中へと誘われるようにして、子供たちの顔に出会うことになる。
連休を二人児 と来てゐる姉のしづかな笑みに理由を訊 かず結花(ユーカ)と鴻(コー)
やはらかなうすいまるみでおほはれたかほよ とりわけ鼻のちひささ
東北はひろくて ひろい夜のなかどんな気持ちも真実だつた
もう来るなと言っても例年通り来てしまった燕、そして連休を過ごしに帰ってきた姉と子供たち。
歌の主体の視線の先にあるものは、当たり前のように毎年そこにあったものだろう。軒下の燕の糞や、姉の微笑み、子供たちの小さな顔などが、当たり前のように見ていたときとは何かが違って見える。違って見えるそれを歌にして捉えなおすときに、もっとよく見ようとして焦点を絞る、そのときの心の動きの痕跡が、特にそれぞれの下の句に表れているように思う。
この一連には、家のなかの葛藤や劇的な変化は描かれない。
たとえば、家族それぞれの気持ちに違いがあること。子供への危機管理に母親と父親で意見が違うこと。そのような問題を思い浮かべることもできるが、歌に誰かの主張や意見が乗せられることはない。
ただ、あらゆるどんな気持ちも真実だという声が、夜の静けさの中に響く。その声は、六県にもまたがる広い地域である「東北」に眠るひとりひとりの上に、そっとつぶやいているかのようだ。
このあと一連は少し転調する。
タイトルにもなっている「百の膀胱」は、「チェルノブイリ膀胱炎」として医学博士・福島昭治氏が症例を報告しているものに想を得てのものだろう。
昨年九月十四日の東京新聞より引用する。「チェルノブイリ原発事故で、がん発症の因果関係が認められていたのは小児甲状腺がんのみだった。だが、土壌汚染地域からはセシウムの長期内部被ばくによる「チェルノブイリ膀胱炎」という症例の報告もある。」
氏はチェルノブイリ事故の十年後、ウクライナの教授らと共同研究をし、「前立腺肥大症の手術で切除された膀胱の組織百三十一例を分析し、その多くに異常な変化を見つけた」
とある。
歌に戻る。薄暗い祠の中にたくさんの膀胱が集められ、祀られている。本来神を祀るはずの祠は、神の代わりに「科学」を祀っているのだという。実際に研究のために集められた膀胱の組織と、もしかして未来に集められるかもしれない子供たちの膀胱が、土地を古くからまもってきたはずの祠のなかで重ねられる。そこにあるのは、「科学」というものへの信仰である。
甥と姪の名が詞書にあった歌の「鼻のちひささ」から、「こどもらのもの」が多いという「百の膀胱」の小ささへ、イメージがつながる。体のなかにあって見えない膀胱というものが、強く意識させられる。
この庭に二十年後に膀胱を
チェルノブイリ原発事故の約二十年後に、現地の膀胱がんの発症率は二倍近くに増加した、と先の新聞記事にはあった。チェルノブイリ膀胱炎については、日本の研究機関は否定している。書籍もあるので関心のある方はよく調べていただきたいが、ここでは歌に添って真意を読んでいきたい。
初句の「この庭」というのは実際の姉の子供たちが遊ぶ庭でもあろうが、「この」という指示代名詞をつけられたことによって、目の前の、あなたの庭にもつながるものになる。
もしかして将来、庭で遊んでいる子供たちの体の一部が損なわれるかもしれない、と歌の主体は想像する。
「今は遊べり」という結句が強くひびく。今、この場所に生きていることが、暗い想像のあとで強く輝き、輝いたあと再び四句目までの重圧によって暗く沈むような感覚がある。
佐藤は座談会での「原発を詠うのは難しい」という意見を受けて、次のように述べている。
「じゃあ何でドキュメンタリー作品は成功してね、短歌で成功しないかって言ったら、取材してないからだと思うんだ。あの人達と同じくらい取材をして、思想的・科学的な格闘をして、その上で作るっていうことを誰も歌人はやってないと思う。」
そして一年経った現在、震災の歌で覚えているものとして、この二首を挙げている。
原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた 岡井隆
想定は想定レベルの選択にすぎぬといへば混乱するか 真中朋久
いずれも初読の際は嫌な気持ちになったと述べたあと、
「他にいっぱい感動した歌っていうのはさ、それこそ想定内っていうか。自分の一部みたいな。あんまり他者性がないっていうのかな、納得がいく歌だった」
「(でも岡井・真中の歌は)見たときに、ああ、これは他者の歌だっていうのかなあ。自分の外側にあったのね。それを理解しようとして、自分が拡がったっていう感じがした」
と述べている。
ここには「読むこと」の本質がある。ただしく読むことは自分を変える危険がある。しかし佐藤はその危険を冒して他者の言葉を自分のなかに入れ、栄養とした。その結果、上記のような一連の歌が生まれたのだろう。
そして詠むことの危険についても、佐藤は「その人がその時に持ってる修辞の能力が出ちゃう」「思い付いた修辞に自分の気持ちが乗せられるみたいな状態になったりする」
と非常に重要なことを述べている。
以下に、他の方の心に残った歌も少し挙げる。どれも〈私〉の負った傷のようなものが歌の中にある。
その先へはゆけぬところを終点と呼び常磐線ひかりつつゆく 小林真代(福島県いわき市在住)
ボランティアゆけばほのかに茜さし負ひ目をひとつわれは忘れつ 斎藤昌也(岩手県北上市在住)
男鹿半島まるごと失くなる夢を見てざぶりと起きる未明の闇に 石井夢津子(秋田県男鹿市在住)
佐藤通雅は『99日目』評のなかで、「優れた震災詠には、私性では片づけられない要素がある」
と述べている。「日常のなかの〈私〉というよりも、世界へ投げ出された〈私〉、死あるいは死者をかたわらにした〈私〉だ。」
『366日目』にも、死者をかたわらにした〈私〉の歌が散見される。以下のような静かな歌に惹かれた。
他界へとあまたの人の渡りけり冬の水平線に手をかざす 加藤和子(秋田県潟上市在住)
紅梅がひらきさうだよ誰(た)がこゑか空から聞ゆ一年目の春 相澤豊子(宮城県仙台市宮城野区在住)
泡の間にあまたの息の溶けゐるを思ひつつをり 一途に啜る 梶原さい子(宮城県気仙沼市出身 宮城県大崎市在住)
最後に、「死者をかたわらにした〈私〉」の歌に関して、「澤」七月号の特集「震災と俳句」で斉藤斎藤が挙げていた一首を引用しておきたい。河北歌壇の投稿歌についての佐藤通雅の言葉を引いたあと、斉藤は以下のように書いている。
「犠牲者の無念さに寄り添うということは、おそらく、犠牲者を代弁することではないのだろう。
石巻 のお母さん探しても探しても見つけて貰えなかったのでゆうべお母さんの方からいらっしゃいましたか
児玉ちえ子(河北新報11月13日)安置所をくりかえし巡って見つけられなかった遺体が突如、発見されたのだろう。主語がくりかえし捩れている。「探しても探しても見つけ」られなかった〈私〉が、「て貰えなかった」ではお母さんの身になり、お母さんとして浜辺に流れ着き、〈私〉に連絡をとる。そのような空想をした〈私〉は、この空想で合っていますかと、亡骸のお母さんに問いかけるのだ。返事はないと知りながら、お母さんの身になって考えたことを、お母さんに語りかけずにいられないのだろう。絶唱、だと思う。
誰も代弁できない、誰も当事者になれない死者の無念を、当事者性の文芸である短歌は、どう受け止めるか。震災から私が受け取ったのは、そのような問いである。」
佐藤陽介は先の座談会で、詠うことができるということは「対象が自分の内側にある」からだと述べている。「歌を作る前に、それを受け止めないといけない、耳を澄ます時期が要る」
と。そして一年かけて他者の言葉を受け止め、栄養にし、優れた歌を作った。
それぞれに時間が要る。言葉にできないまま終わる思いもあるし、途上で外に出てしまう言葉もある。自分の言葉を探すのと同じくらい大事なのは、他者の言葉を読み、何とかして理解しようとすることだ。危険なこともある。知ってしまえば元には戻れない。斉藤斎藤の引いた一首を読まなかったことには、もうできない。百の膀胱が祀られた祠のイメージも、私の中に映像として残ってしまった。
読むことの危険に、できるだけ挑みたいと思う。
*
作者紹介
- 錦見映理子(にしきみえりこ)
1968年東京生まれ。未来短歌会所属。未来評論エッセイ賞。歌集『ガーデニア・ガーデン』。