短歌時評 第81回 田村元

「率」通巻2号

 「率」通巻2号を読んだ。二十代を中心としたメンバーによる同人誌。「率」の偶数号は、短歌作品のみの掲載ということで、エッセイや評論などは掲載されていない。作品のみで勝負というところが潔い。

プルトップぷしゅ、とはがしてコカ・コーラの(ほとけ)の部分をすすりはじめつ 内山晶太
抱き来し本に移れる身の熱を(にへ)のごとくに書庫へ返せり 小原奈実
せつなてきだねと初めて言われた日きれいなことばだなと思った 馬場めぐみ

 ゲストの三人の作品より。一首目、プルトップを「はがして」というところも上手いが、「コカ・コーラの(ほとけ)」という表現が面白い。喉仏からの連想で、缶の飲み口のでっぱった部分のことを言っているのだろう。コカ・コーラというアメリカンなものと、仏との取り合わせが憎い。やがて動き始める喉仏の映像が、一首を読み終えたあとにゆっくりやってくる。二首目、抱きかかえて来た本を、体温が残ったまま図書館の書庫へ返したという歌。それだけでも雰囲気があるが、「(にへ)のごとくに」と言ったところで、言葉が日常から、ぐっと引き上げられた。一読後、読者は、書庫の中で冷えてゆく本に思いを馳せるだろう。とても余韻のある歌だ。小原の作品が、かなり理性の部分を抱き込んでいるのに対し、三首目の馬場の作品は、感情に直接語りかけてくるようなところがある。〈刹那的〉という、一般にはマイナスの意味で用いられることが多い言葉を、肯定的に捉え直すことで、自らの生き方も肯定していこうという、静かな意思のようなものを感じる歌だ。

いいんだよ、あなたはあなたのままでゐて、あさがほの花こじ開ける朝 藪内亮輔
おれの新聞をとってくれ りんごはいい りんごは体によくないからな 瀬戸夏子
腹ばいで読むとき歌はくるくると全方角に散っていく花 平岡直子

 同人の作品から三首。一首目、今回の藪内の連作は、全体的に上の句と下の句のねじれ方が面白い歌が多かった。引用歌の上の句は、やや通俗的な言い回しであり、下の句で静かに朝顔が開いていただけだったら、平凡な歌になっていただろう。ここで朝顔の花は、どうしても「こじ開ける」必要があったのだが、上の句の内容を否定するように、朝顔を「こじ開け」ていながら、決して握りつぶしたりはしていない。そこに、否定の先の肯定のようなものを感じさせる、何重にもねじれている歌だと思う。二首目、映画の中の会話のような歌だと思った。思ったのだが、その会話が、日常の会話とややズレているところがある。一つは、「おれの新聞」という言葉だ。新聞は翌日になったら捨ててしまってもいいもので、わざわざ「おれの」と所有者を明示したりするだろうか。もう一つは、「りんごは体によくない」というところで、そういう説がもしかしたらあるのかもしれないが、私は聞いたことがない。一見、会話のようでいて、日常の会話とは少しズレている。そこに詩的なものを感じてしまうのだろう。三首目、今号の「率」のゲストや同人たちの個性豊かな作品を、象徴しているような一首だと思った。床やベッドに腹ばいになるとき、部屋の中に遮るものはなくなり、花が全方角に散っていくことのできる空間が生まれる。「全方角に散っていく花」は、一首の歌が持つイメージの広がりと取ってもいいが、短歌という詩型が秘めた多様性を暗示しているようにも思える。この一首を読んで、「率」に収められた作品が、一首ずつほぐれて、舞っていくような印象が私の中に湧き上がってきた。「率」の歌人たちの作品が、今後も、あらゆる方角に向けて花ひらいて行くことを願って止まない。

さめるからゆめでありゆめであるからさめる ありがとう、洗って返すね 川島信敬
年下の妻を頼れば妻の言う「わたし」が鳥に似ている夕べ 松永洋平
毛布には毛布の荒野にんげんは油断してると死んじまふのさ 吉田隼人
外国の小鳥のようにゆっくりとゆっくりとその果実はみのる 吉田竜宇

 全て取り上げられないのが残念だが、他にはこんな歌をチェックした。注目の同人誌の着実な続刊を期待したい。

(注)「吉田竜宇」の「吉」は正しくは「土」に「口」。

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