月下美人展くや熟年めく恥らい
「野の会」昭和56年6月号より。全句集には収録されておらず、『自選自解楠本憲吉集』に収録。
日本的な季語である「月」はあまりにも日本的情緒のまとわりついているせいか、憲吉には名句が少ないようである。憲吉の句に「月」の句をまれに見ても日本的情緒を排除している句が多い。
月爪のごとしこの恋泥のごとし
残忍にひらく月下の恋いくつ
羸痩わが胸に影して月の山毛欅
一方で、「月」のつく「月下美人」というサボテン科の花には、憲吉の想像力を羽ばたかせるものがあるのか、題材としてしばしば詠んでいるようである。作品そのものも無理なく憲吉調を発揮している。
妖と開き煌と香りぬ月下美人
月下美人かっと目ひらき明日フランス
掲出句に戻り、「熟年めく恥らい」という把握はいかにも憲吉らしいものがある。熟年になれば恥じらいがないのではないかという常識的な解釈は憲吉の取るところではない。若い女性の鈍感さを、憲吉ほどになるとよく分かっている。厚かましいように見える熟年女性に、ある瞬間、恥じらいの表情が素通りして行くことがある。それを妙と思っているのである。こうしたところに憲吉の独自性がある。
最近のお笑いでいえば、一時、綾小路きみまろが中高年の女性をいじっていたのが、このごろはピースの綾部、オードリーの春日、ロバートの秋山などが熟女好きを芸にしている。楠本憲吉は20年早かったのだ、芸人としては。
(修正)前回の、「戦後俳句を読む」(17-2)で、
翼重たくジャンボジェット機も花冷ゆる
をあげて、ジャンボジェット機を取り上げた初期の句(45年7月でJAL就航)と述べたが、この句は昭和50年の句であった。しかしこれに先立つ昭和46年の句に、
秋暑しジャンボジェットが人吐きおり
があったことを見落としていた。訂正し修正する。