戦後俳句を読む(21 -1) 楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井

墓地抜ける生色少女のふくらはぎ

昭和38年『孤客』、と自句自解にはあるが、全集本の『孤客』にはない。いつの段階で最終句集原稿から消えたものやら。もとより無季俳句。

何となく楠本憲吉のからみつくような嫌らしい視線を感じるが、まさにその通りである。憲吉が慶応義塾大学の講師を務めていたとき、慶大俳句会のメンバーを連れて鎌倉近代美術館へ吟行に行った。その時長谷寺を抜けて行く教え子の女子大生の若々しいふくらはぎが目にとまってこの句が出来たという。

自句自解には、この1年、池田弥三郎の推挽で慶応義塾大学の講師となったと言うが、年譜では講師を務めたのは昭和40年とある。何が本当なのか憲吉についてはさっぱり分からない。本当は調べて書くべきなのだが、そんな調査をする価値があるとも思えないので矛盾した資料そのままに書いておく。

それでも、38年に講師だったらしいことは、翌39年、この女子大生(筑紫出身)を詠んだこんな句があるから間違いなさそうだ。

春一番筑紫乙女は幻めく

講師の期間は1年だったらしいから翌年はもう教え子としての関係は途切れているが、憲吉としてはこの女子学生に相当未練があったらしい。憲吉先生、41歳の男盛り。その前年、長男が同じ慶応義塾中等部に入学しているというのに!

嫌らしい視線といえば、こんな視線の句もある。

スリットがこぼす脚線ころもがえ

昭和61年『方壺集』より。ちょっと目のやり場に困るような句だ。そもそも「スリット」という言葉が何故出てきたかというと、憲吉の句会の袋回して「スリット」という題がでて最初のスリットの句を詠んだという。とんでもない句会だ、スリットなんて題を出す句会がどこにあるだろう!憲吉はそれ以来病みつきになり、盛んにスリットの句を詠み始めたらしい。しかし、この句、その中ではスリットの本意をよく詠んでいる秀作である。王道を行くスリットの句であろうか。

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One Response to “戦後俳句を読む(21 -1) 楠本憲吉の句【テーマ:妻と女の間】/筑紫磐井”


  1. 俳句情報 » Blog Archive » 梅の俳句
    on 3月 4th, 2012
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