酒場やがて蝋涙となり誰か歔欷
昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。
直接女性の字は出てこないが、やはりこの句は「妻と女の間」で取り上げるにあたいする句であろう。とりわけこの句は次のように読むとき、俄然、憲吉の色彩を帯びる。
酒場(バー)やがて蝋涙(ろうるい)となり誰(たれ)か歔欷(きょき)
酒場にバーのルビは憲吉自らが付けた。当然目の前に広がる光景は、ホステスのこみあげるすすりなきにみながぎくりとする、歓楽の行き尽くす夜である。時に灯は煤を上げて燃えしぶり、醜い蝋燭の滓は積もり積もって燭台を汚して行く。
憲吉が得意然としているのは、自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げたことからも分かるであろう。
「灯火の時のただれたる華麗の時終れば、卓上に燭を立て蝋火の時と変じ、興を薄命の悲哀に切り替えんとするのか。この時、夜の蝶属は、蝋涙の身と化身して、誰かひとり声をひそめてすすり泣く声を薄命の卓上に漏らそうとするのであるか。それとも多感の遊子、ひそかにこの暗転に乗じてこみ上げくる悲哀に、わが胸のうちの悲しみにすすり泣かんとするのか。ともあれ、酒場深夜の一興の景である。」
新興俳人にして精神科医の静塔がどういうつもりでこんな鑑賞を書いたか分からない。蒲原有明調の、しかし軽薄な文章は、いたく楠本憲吉の御気に入ったようである。
酔うて漂う深夜の海市誰彼失せ
同じく昭和40年の作品、『楠本憲吉集』所収。
これも自句自解に平畑静塔の次の解説を掲げている。
「この句も銀座夜景である。深夜の銀座は酔漢のものだ。(中略)わが傍らにいる者、通り行く者、すべて酒精の魔手に操られたる人間のみとはなった。酔歩蹣跚、漂流の舵を操る深夜の車を縫うて、異様幻影の竜宮、桃色なせるハレムの殿堂かと近づけば、風なくして蜃気楼はゆらりと動く。酔友いつしか身辺にあらずして失踪し、われひとり海彼の魔境に流れつかんとするのかと、作者は酔いを忘れて、深沈の憂いにとらわれたのである。」
実はこの文章を写しながら評者は腹を立てているのである。こんな鑑賞やこんな批評が二度と再現されて欲しくはないと切に思う。まるで、昭和の黄表紙の世界ではないか。おまけに、憲吉はこの誰彼が西東三鬼と石川桂郎だと落ちまで付けている。これがかっての俳壇の有様だったわけである。若い人々に侮蔑されて当然である。
ただ不思議なのは、こんなどうしようもない鑑賞から離れて、俳句だけは自立していることだ。私がこの句を取り上げているのも、俳句だけは侮蔑していないからである。いやそもそも俳句が不思議なのは、人格下劣、没道義、思想も品性も、理想さえなくても、名作佳句を作ることができることだ。詩人や歌人や小説家が信じられない世界が俳句にはあるのである。批評を拒絶して、作品だけが佇立することを信じて疑わないで欲しいと思う。