妻よわが死後読めわが貴種流離譚
『楠本憲吉集』より。
貴種流離譚とは高貴な身分の者が、親たちにはぐれて数奇な境遇をたどり、悲哀を舐めて再び高貴な身分に戻るという伝承類型であり、日本であれば源義経や塩冶判官などの物語をいうことになる。
一言で言えば、まことに気障で嫌みな俳句である。自らを貴種ととらえ、いくつか職場を転々とした経験を流離と詠んでいるのだが、傲慢きわまりないというべきだ。おまけにそのシチュエーションを、自らが妻に語る場面としているのだからやりきれない。おそらく妻は「また言ってんのね」とせせら笑っているにちがいないが、憲吉はそうした凍り付くような心理状況を全くカットして得々と語るのである。「死後読め」というのは生前には評価されないという言い訳を含んでいるのであろう。女性の方がしたたかであり、そんな未練な男のことなどさっさと忘れてしまうということは気がつきもしない、妻は綿々と自分の回想に耽ってくれると思うお馬鹿な男なのである。
もちろん憲吉はある意味で貴種であった。職業・俳句も流離であったことは間違いない。楠本家系図と、憲吉年表を見ればそれは証明してくれる。この句なかりせば、私も「戦後俳句を読む」で憲吉を書くに当たって貴種流離という言葉を不用意に使ってしまうかも知れない、そうした状況は確かにあったのである。ただ残念ながら憲吉のこの句を知ってしまった以上、あらゆる評論家にこの言葉は禁忌となる。憲吉の言葉を真に受けてしまってように思われて、評論家の沽券にかかわるからである。
俳句については別に語る機会があると思うが、職場については自らこんな風に語っている。田中千代学園短期大学教授に就任し、殊勝にも「ここで老ゆべし女子大学の青き踏む」と詠んだが、14年間つとめた挙げ句田中千代学長から解雇を言い渡された。理由は、休講が多いのと教授会に出席しないこと。全く自業自得である。
というわけで、この句は憲吉の数ある句の中でも愛唱に値する名句である。私個人としても、憲吉を知るために後世にぜひ残ってほしい。