第6回詩歌トライアスロン受賞作/猫を測る   沼谷香澄

猫を測る第6回 詩歌トライアスロン受賞作

猫を測る   沼谷香澄

ある実験について読んだ。マイクログラム単位で重量を記録できる寝台に、完
全に密閉された状態で呼吸可能な環境を6分間だけ維持できるカプセルを搭載
して、死にゆく人を収納し、重さを測る。被験者の生命反応が途絶えた数秒の
後に、装置の総重量が軽くなるのを観測できたという。複数の尊い協力により
実験は繰り返され、そのたびに有効な結果を得たのだという。

頭蓋骨の長辺は12センチ。

右はダン・ブラウンの小説中のエピソードだが、それとは関係なく、猫は体重
と一緒に命の分量を減らしていって維持できなくなったから死んだということ
は理解できる。1年かけて、皮下脂肪を失い、筋肉を失い、ヒトより比率とし
てはるかに多い水分を失って、壮年期に6キロ近くあった猫の体重は最終的に
3.5キロまで減った。

眉間の幅は3.2センチ。

死の一週間ほど前まで、猫は最盛期と同じフルボリュームの声で人を呼ぶこと
ができた。耳を動かさず、目もそれほど動かないことから、どちらも衰えて久
しいと思っていたのは飼い主の悲観が過ぎたらしい。一晩入院して体温を上げ
る処置を受けた後、この子は見えているし聞こえてもいる、と主治医は静かに
言った。

魂を水に落としたかのように目を開けている四肢を畳んで

先端の尾骨が直角に癒着しているので日本猫とカルテに記載されたが、猫の毛
皮は不完全なダブルコートをしていて、長毛とはいえないが柔らかだった。し
かし尾の動きは洋猫の滑らかさを持たず、尾から垣間見える感情も不器用だっ
たと言える。

頸椎から尾椎まで総長65センチ。

わたしたちは猫を北関東の頑固親父と呼んだ。読んでも返事をせず、開けてや
ったドアから入らず、毛布を広げても乗らず、噛みつく力の加減を知らず、ポ
リ袋を噛み切って飲み込み、餌を食べ過ぎては吐き、腹が剥げて毛が生えてこ
なくなっても毛づくろいをやめなかった。言い分はわかる。猫が呼んだときに
人が応えるべきで、猫のいる側に人が来るべきで、噛まれたら甘んじて受ける
べきで、ポリ袋は黙って見逃すべきで、人は猫を寂しがらせるべきでなく、寝
心地のいい部分に寄り添えるように人はさっさと眠りにつくべきだった。

後肢、股関節からつま先まで、54センチ。

猫が痩せて毛並みが悪くなってきてから、わたしたちは外泊を減らした。一緒
に眠ることで互いの命を一日分だけ先に進める。一日一日が、明日終わっても、
永遠に積み重なっても、おかしくなかったある日、長く太い大腿骨の一本が真
ん中から折れて、年老いた猫とわたしたちの穏やかな暮らしが終わった。

前肢、肩から肘を通って、35センチ。

猫が死ぬ瞬間に私は猫の背中をさすっていた。ぐうう、と痙攣するような伸び
をするような声を何回か出した後に猫は動かなくなったがその時私の頭のどこ
かが重みを失って軽くなった。

牙の長さは根も含めて16ミリ。

猫が死ぬと、または、死んだと、理解した別々の瞬間に、わたしたちはそれぞ
れの悲しみを泣いた。それ以上はなにもできなかった。悲しむとは何だ。懐か
しむとは何だ。残されたわたしたち三人と一頭は、それぞれの苦しみに惑った。
なにかしなくてはならない。なにもしてはならない。変えなくてはならない。
変えてはならない。生きなければならない。死なせてはならない。

魂をみちびくものを神として頭上に二次関数をみいだす

夢は見るものだ。わたしたちは猫と一緒にいつまでもいつまでも仲良く幸せに
暮らす。猫はどこへもいかない。わたしたちはわたしたちの愛を発明してもい
い、と言ったのはフーコーか古橋悌二のどちらかだった。

魂が他人の物にならないとしたら世界はいらなくないか

骨になった猫に私が肉付けをする。手が覚えている。猫の軽さと背中のしなり
具合と、長い長い手足と、年老いても死んでも均整のとれた顔と、私の顔のそ
ばで眠る時の寝息の温かさとを。病気ばかりしていた猫の生命が終わった。生
命力と生命の価値は比例しない。

7000に300ほど足りない夜の寝顔が猫に見おろされていた

猫はくつろいでいるときに、額から両目を人の手のひらで広く覆ってもらうこ
とを好んだ。猫は目を隠されると安心したそぶりを見せて眠りについたものだ。
何度でも寝るといい。薄い瞼を閉じて。目覚めは私が記憶している。

猫を焼く冬の空気の薄黄色

指骨の長さは5ミリ。

風呂蓋に暖を取る猫の魂

わたしたちの愛は長径25センチの卵型に再結晶する。

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