ガラスの破片 渡辺玄英

ガラスの破片 渡辺玄英  1
ガラスの破片 渡辺玄英 2
ガラスの破片 渡辺玄英 3


ガラスの破片 渡辺玄英

いまはガラスの破片になろうとして
このようにおびただしく破片がこぼれている
風景に出会ったとき
きみがあらわれたなら
たとえば写真を撮ったとき
きみは消えてしまう(だろう
そこだけ空のように切り取られて(なにもなくて
辺りのくだけ散った何かがやがて輝きだす(ムスーに
痛みは失われたきみの姿をして痛んでいたきみは消えて
風景はキズを負った
ゼンマイ仕掛けの
夕闇はそこからおとずれる
 
(失踪したあとの繃帯(の白
薄いカミソリ刃に指をすべらせて
いまは壊れたほうがいいから
ぼくらわたしらは壊れて(いる
たとえ近くても こんなにも
セカイは遠ざかってしまって(しまった(から
い(いったい折れたカミソリの刃に(こんなに
薄く削られて(いる(いない
 
こだまのようなものが
ときおりヒトのカタチに見えることがある
なつかしい知り合いのふりをして(あるいは
昨日のぼくらわたしらの貌をして
レンズの破片に映っている
歪みの(奇妙な
風景の中のレンズの中のきみが
ポケットの中のガラスの破片の
とがったヘリをしきりに指先でふれている
指先の闇に呼びかけて
呼びかけて(こだまのように
声はきこえない(くるおしく叫んで(いる(きこえない
のがさないように
手の中のカメラで
しずかに首をしめる
少しだけ(しんだ(ゆれて(おびただしい光はおそろしく
光の破片
きみは振り向いて苦しげに何かをたしかめる
そして背景が消えていることに気づいてしまう(だろう
背景を切り取られて(なにもなくて
きみはキズを負った
(逃れる所はどこにもなくて
何もない背後のセカイから
きみの姿をしたキズがやってくる(空白に
滲むように

執筆者紹介

渡辺玄英(わたなべ・げんえい)

1960年生。口語、サブカルチャーの領域から詩の「現在」への接近を企てる、時代の空気を詩の言葉に刻む「新しい言葉の自覚した使い手の最も尖鋭なひとり」(高橋睦郎)。

詩集『海の上のコンビニ』で注目される。詩集『火曜日になったら戦争に行く』は、吉本隆明により「「無」の状態から意味論的に脱出しようという意図が感じられる(略)たいへん珍しいといえる作品」(『日本語のゆくえ』)と評価される。

『現代詩手帖』誌2011年6月号から「新人作品」選者。

タグ:

      
                  

「作品 2011年6月17日号」の記事

  

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress