ある四月の記録 佐藤弓生
すでになにごともなけれど目薬が鞄の中で泡だっている
小さきてのひらひらいてはひらいてはさくら波間よりつかみかかりきたりぬ
薔薇十四、五本をくるむ 〈溶融〉の文字あたらしい新聞紙にて
菜の花の点描となりゆくまばゆさはみえない雪がふっているのか
立ちつくす残像はみゆ点灯の間引かれている廊下の奥に
いる人といた人がいる春の夜の夢の鳥居に紙垂はちぎれて
涙とはうつくしい事故 ひさびさに人と会いたる四月二日の
そのとき人は生きているのだ ひとは、と口ひらくとき卵食うとき
玉砂利のひとつがひょんと跳びだして草にまぎれる雨あがりです
みどりごの爪伸ぶるやわらかさもて総身を芽吹きやまざる公孫樹
立入禁止区域に星を戴いてもう産まなくていいよ牛たち
〈この四月〉が〈ある四月〉に変わる日がくるはずはないけれども歌う