雪月花 中家菜津子(夏嶋真子)
雪月花時最君憶 白居易
雪
白紙の一点に雪の動線を指先で伝
えれば線は細かく波立ち時々大き
く揺らいで次第にゆきさきを明ら
かにする。薬指が冬の動きを幾度
と繰り返すうちにわたしは正しく
指紋を失う。摩擦の熱に指の骨が
ひりひりと震えはじめた。火傷な
のか裂傷なのかわからずに、紙を
ちぎれば焔。ちりちりと凍える火
に子音をさりさりと吐きかけてふ
たび吸い込めば六花。左の肺に浅
く刺さるのだ。いつか燃え爛れて
灰になるはずだ、雪まみれの淡い
肺
頬杖のあなたは夜の窓に降る雪のひとひら聞きわけている
月
あなたの部屋に向かう途中、一度だけ遠回りしたことがあって、公園の道野辺の小さな石碑に足を止めた。「月」という文字が月光に冴え冴えと
浮かんでいたのだ。けれど、さっきまで景色を変えるほど降り続いていた雪は文字をほとんど覆っていた。月は意味を告げずに、ただひかりの青
さを晒していたいのだろう。
*
そして今、なぜかわたしは、あの碑に刻まれた言葉が心音に重なるひとつきりの韻文であるような気がして、朧月夜の道を急ぐ。息を切って碑
文の前にたどり着いてみれば、埋もれていたのだ、満開を過ぎしろじろと散る桜の花びらに。
月と文字は降るという行為で繋がれている、時空を小さく折りたたんで。
わたしは文字を明らかにすることでなく、あきらめることを選んだ。それは降ることと同じだから。
あなたは明日、あの部屋を去る
*
頬骨に触れればそれは月のいし
花
うすあおいラベルのペットボトルが転がる部屋に
頬杖をついて横たわっている。
背中の曲線は容器よりカーブを描いて反る
「パラレルだわ、わたしたち」
5㎝だけ窓を開けると
まっすぐに降る雨と花の匂いがまじりあって流れ込んできた。
「ペットボトルの白いキャップをひだりまわりであけるのはいや。」
日常は事細かに命令形で置かれている
「あきらめる、あきらかにするあなたはどちらのひとですか。」
親指の指先に力をこめて蓋をこじあけるとき、
つややかな爪には白い半月がくっきりと浮かぶ。
螺旋がばかになった蓋、このまま役立たずのふたりでいよう
「絶対の縦なのだね、雨と同じだ。飲み干すまでの間は。」
あなたがそう言った瞬間、ミネラルウォーターは砂時計になった。
花の雨 眠るわたしのこめかみにふれているのはくちびるですか