俳句時評 第22回 松本てふこ

『ユリイカ』の話

『ユリイカ』2011年10月号が特集「現代俳句の新しい波」を組んでいたので、買った。一通り読んでから、「カンニングじゃないです、カンニングじゃないです」とつぶやきながら『週刊俳句』の五十嵐秀彦氏の「週刊俳句時評」第46回を読み、『ユリイカ』のパブリックイメージ及びそういったイメージを抱かれている雑誌が俳句を取り上げることの事件性をしみじみと感じた。

五十嵐氏の微笑ましく美しい『ユリイカ』との関係性には及ぶべくもないが、私と『ユリイカ』との関わりを思い出してみると、90年代後半に高校の図書室で借りたのが始まりだろうか。当時から愛読していたマンガ家・南Q太のインタビューを読みたかったという理由からだったが、その号(調べてみたら1997年4月号の特集『J-コミック’97』であった)には楳図かずお、荒木飛呂彦、吉田戦車、黒鉄ヒロシなど錚々たるラインナップが登場しており、「詩歌? 国語は好きですけど」なんて言いそうな平凡な女子高生だった私にも全編通して楽しく読める内容だった記憶がある(というか、これホントに詩の雑誌?と思いながら読んでいた)。ちなみに一番はっきり覚えていたのは、エロマンガ家・町野変丸のインタビュータイトルが「トーンは乳首に貼れ!」だったこと。とりあえず、私にとってはその後しばらくはちょっと尖ってると思われたいというしょうもない思春期の欲求をかなえてくれる、程よく親しく、時々とっつきにくい雑誌であった。社会人になってからも数年に1回くらいの割合で買っていたが、自社の発行物が『ユリイカ』で紹介された時はにわかには信じがたく乾いた笑いしか出てこなかった。そういう雑誌で紹介されている俳句、というのは自分が普段作ったり読んだりして触れている俳句と同じようでそうとも言いきれない、何やら不思議な距離感のものに思えた。

俳句総合誌以外での俳句の特集というのは概して趣味というか作るもののひとつという観点からの紹介に偏りがちで、「いかに作って楽しむか」という切り口が多い。しかし『ユリイカ』の場合は若干トリッキーな特集の構成になっている。だらだらとで恐縮だが順を追って記事を紹介していこうと思う。

特集の最初の鼎談で川上弘美、千野帽子、堀本裕樹という3人の「作って楽しんでいる」人々のリラックスした語らいを載せて、さああなたも今日から俳人! という調子で作句のハウツー記事が始まるのが流れかしら、と思いきや、放哉、山頭火、寺山、重信という順に句論が登場する。俳句との距離に関わらずこのラインナップはベタだと思われるだろう。しかしこれに続き二十代~三十代の俳人と幅広いジャンルの作り手(小説家、放送作家、ミュージシャンなど)による作品があり、その後に角川春樹のインタビューでちょっとしたカルチャーショックを受け、価値観の混乱を楽しまざるを得なくなる。そしてその次の、子規と虚子を鮮やかに対比させた論2本の不思議な符合がおかしい。写生へのまなざしで2人を対比させた青木亮人に対し、詩の朗読イベント「サイファー」の企画・立ち上げで知られる佐藤雄一は虚子の勉強嫌いに由来する「忘却」から「幽霊的な出会い」、そしてそれが生み出すリズムという作品の特徴を引き出し、自らが所有する膨大な記憶に立脚して作品世界を作り上げた子規と対比させた。そしてその次に、近代以降、というか3・11後の日本が直面する問題を俳句と哲学とをクロスさせながら捉えた串田純一の論が登場する。鼎談での言及のされ方が抜群に印象深い池田澄子を佐藤文香が実に楽しげに質問攻めにするインタビューの後に、俳壇デビュー以降の自身のライフワークである「青春性語り」「昭和30年世代と『新撰21』世代との比較」をひっさげて高柳克弘が出てくるあたりは非常に俳句総合誌チックな流れと言えよう。

最後の論3本は、俳句にまつわるシステムに関する言説、という風情。最後から2本目の論に千野帽子が登場することで鼎談、作品からの流れも含めて特集の陰のコンダクターたる彼の存在が一気にクローズアップされる。構成というか台割の妙か。

そういえば私は2004~2005年の『俳句』での連載「先生、ここが分かりません!」で千野の名前を初めて知ったが、連載終了後に『ユリイカ』2005年11月号の特集「文化系女子カタログ」で再び彼の名を見かけたのだった。「僕たちの好きな文化系女子!」というアンケート企画で、千野は10~20代向けの女性ファッション誌の読者モデルとして活躍しながら『国文学 解釈と鑑賞』に太宰論を執筆していた木村綾子(現在はタレントとして活動中)を挙げていて、彼女の読者モデルとしての全盛期にファッション誌を購読していた私は思わずにやりとしたものだった。最近、twitterの「オタク俳句」タグを使って即興で考えた句をつぶやいたら(アニメかマンガの句だったはずだが、どんな句だったかはすっかり忘れてしまった)千野に「これは立句」とばっさり斬られて、それは確かにそうですね、としか言い様がなくお礼のひとつも言っていなかったように思う。どこかでお会いすることがあったら、まずは非礼をお詫びしなければ。

余談ついでだが、今号の『ユリイカ』の巻末エッセイ「われ発見せり」に登場する替え歌がとても下らなくて素敵だった。「乗れなかったー乗れなかったー乗れなかったーイエス! 終電~!」って!ちょっとどこかで歌ってみたい。

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