俳句時評 第36回 湊圭史

俳句から遠く離れて

毎回、この時評の順番が回って来るたびに、あれれ、やばいな、ネタがないぞ、と思うのですが、今回はほんとうにやばいです。ネタ以前に、書く気を起こすのがたいへんな状態。どうしようかな、というので、とりあえず、まだ読んでなかった先週の外山一機さんの時評を読むと、元旦の渋谷の街の印象から始まっている。で、私も街を歩いた印象から書き始めてみよう、と。

本日は、妻の実家に2泊した後、車で送ってもらって、岐阜県立美術館へ。ここは知る人ぞ知るオディロン・ルドン作品の世界的コレクションを誇るミュージアム。のはずでしたが、現在、各地を巡回中のルドン展のため、常設展示は完全シャットダウン。あれれ。しょうがないので(っていうと悪いですけど)、企画展「ドキュメンタリー岐阜135」を観覧。「岐阜県の一三五年 作品と写真で語る」とサブタイトルがついていて、岐阜県創設以来の歴史を説明したパネルと、関連作品が時系列で並べられている。

感想としては、めちゃくちゃ面白かったわけではないですが、ふーんと感じるところはありました。作品として印象に残っているのは熊谷守一ぐらいなんですけど(近代日本画への理解がないので、すみません)、紡績・繊維業を原動力とした街の発展、そこに花ひらいたモダンなカフェー文化、モガとモボの登場あたり。田中比左良という漫画家・挿絵画家の作品に、モガとモボたちの生態が軽妙に描きとめられていて、絵に添えられた皮肉っぽいのだか、照れているのか分からない文が楽しい。

美術館を出て、バスに乗ろうとすると、どうやら2時間後まで便がないらしい。路線図をチェックすると、いくつか先のバス停からは便が増えるらしいので、そこまで歩くことに。大通りに沿ってどんどん歩いてゆくと、まったくバス停が見つからず。あらら、我ながらいつものことですが、道に迷ったらしい。妻とのJR岐阜駅での待ち合わせには、また2時間半以上あるっていうので、じゃあ、岐阜の街散策も兼ねて歩いてやろうじゃないの、とい気になりまして、岐阜駅はあの高いビルあたり、と聞いていた方角へテクテク。

そのうち、岐阜駅方面、の道路標識が見えてきたので安心して歩く。結局、1時間ぐらいかかったのだろうか。途中から、古いアーケードの商店街がちらほらあったのですが、休日なのもあるでしょうが、ほとんどの店が閉まっている。大きな衣料関係の問屋らしい会社の建物がどうやら空っぽになっているのが目につく。駅へは北西からのアプローチ。こちら方面は、けっこう長そうな狭いアーケードの商店街があって、問屋町、西問屋町と地名が見えますが、アーケードの入り口あたりしか店が開いていない様子。

そこそこ規模のある地方都市の常として、どうにも寂びれている駅前の風景に比して、JRの駅はピカピカで巨大。バスロータリー横の広場には、金ぴかの信長公の像が屹立している。向こう側に見えるゴミゴミとした町並みとは対照的に、駅の空間はホームにいたるまでぽっかりと大きく開いた異空間のようでありました。

と、ここまで書いてきて、一向に「俳句時評」にならないことに弱りました。ちょっと前に「サバービア(郊外)俳句」というテーマを見た気がしますが、地方都市の風景と雰囲気はそれとはまた違うように思います。なんというか、ジクジクと滲み出すような古さがあって。岐阜というと松尾芭蕉の時代から俳諧にとっては重要な地名で、それには交通の要所であったという社会的・商業的事情があるのでしょう。美術館の展覧会で見た「柳ケ瀬のにぎわい」のその後も見学に行こうかと思ったのですが、今回はここでタイムアップでした。

まったく関係なく、これまた時評的ではない話題へ。四ツ谷龍句集『大いなる項目』(ふらんす堂、2010)を読む。パーソナルでありながら、全体に明るい光にひらかれているような不思議な印象。

蜘蛛の巣を見上げ瞼をふるわせて
沙羅の実をちぎる手にもう一つの手を感ず
はるの咳ひびきて白き紙ふるえ
天駆けるペルセウス地には新聞配達夫
花挿せば冬の虻来てあかるみぬ
北風吹けり人に死角というものあり
開花宣言ガラスの外は虚像かな

こういう句は、ジャンルのオーソドクシィには決してならない気がして、とても好きです。

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