俳句時評 第43回 外山一機 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

俳句時評 第43回 外山一機

私的『新撰21』総括

「週刊俳句」二五二、二五三号に『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』の総括座談会が掲載されている。二〇〇九年から一年ごとに刊行されてきた上記アンソロジーを、その編集に携わった筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気の五氏が総括するというものだ。ここ数年継続されている若手アンソロジー刊行の舞台裏を垣間見ることのできるという意味では興味深い記事だが、ここでは座談会中「俳句史」という言葉が数度登場していることに注目したい。たとえば筑紫の次の発言だ。

私はもう俳句史は『新撰』『超新撰』『俳コレ』で始まっていると考えていますよ。実際、30年前には牧羊社の『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』で俳句史は始まっていたわけですから。

誤解のないように先に言えば、僕は『新撰21』に参加したことにとても感謝しているし現にいま「詩客」という場で文章を発表できるのも『新撰21』あってのことである。そのうえで言うのだけれど、僕はこの発言を不用意なものだと思う。三〇年前や『新撰21』以降、本当に俳句史は始まったのか。むしろ、かつて『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』、あるいはその他のアンソロジーにおいてたしかに俳句史の産声を聞いたはずなのに、その産声がどこかで途絶えてしまったのではなかったか。僕は、そもそもこの問題が解決されない限り同様のアンソロジーをいくら出したところで状況は変化しないと思う。すくなくとも、これら二、三〇年前のアンソロジーに参加した俳人の仕事への十分な検証を欠いたまま「俳句史」の現在が『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』へと接続されるのであれば、それは同じ轍を踏むようなやや危なっかしい風景であるといわねばなるまい。そういえば、僕は『新撰21』に次のように書いていたのだった。

僕が俳句に関わり始めたとき、俳壇ではすでに中堅となった昭和四〇・五〇年代の「かつての新人」たちが、ある者は俳壇を去り、ある者は天才の不在を嘆きつつ佇んでいた。だが僕はあえて言おう、「かつての天才」もやはり存在していたのだと。そして僕はまた言おう、その「天才」を僕らが批評と実作とによって弔う季節が来ているのだと。僕らこそ新たな「天才」なのだと高らかに偽称する季節が来ているのだと。

ここでいう「昭和四〇・五〇年代の「かつての新人」」には、筑紫のいう『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』に参加した者が含まれている。僕たち若手はたしかにこうした「かつての新人」の仕事の恩恵を受けているのだけれども、当の「かつての新人」は、彼らの表現への検証を受けないまま今日に至っている。そして、その俳句史的な位置の曖昧さはそのまま僕たち自身の曖昧さへと繋がっているのである。僕が「僕らが批評と実作とによって弔う」と書いたのは、だから、何より僕自身が僕として立つための見通しをつけたいがためであった。その意味で、先の座談会で上田が次のように述べていることはどこか気にかかる。

アンソロジーの面白いのって、入った人同士が同じ条件で、すごく比較されること。一方で入らなかった人とは、その選出がほんとうに正当だったかどうか、今後ずっと挑まれ、比較される運命にあるでしょう?
だからこそ、今一時的に、新しい人の才能の市場が沸騰してるみたいなね、セリが懸かってるみたいな状態にあると思うんですよ、この兄弟本3冊が出て生まれたこの状況は、たぶん、何年かは続くでしょう。
3冊に入集しなかったことをきっかけに、第一句集を出して、俳壇的に評価されて、といったこともあるようですし(数例、耳に入ってます)。
『新撰』で先に出た人もぜんぜん気が抜けない。今、ちょっとダメになると目立ちますよお(笑)。

最後の「今、ちょっとダメになると目立ちますよお(笑)。」という言葉は、(笑)とあるとおりもちろん冗談半分であると信じたいが、「ダメになる」とはどういうことであろうか。「ダメになる」のは、むろん当の俳人の未熟さということもあるけれど、俳人が「ダメになる」のは本当にそれだけの理由によるものなのだろうか。

さて、もう少しだけ個人的な事情を言えば、僕が『新撰21』の話を聞き、そこに選出されるということを聞いたとき最初に感じたのは戸惑いと怒りであった。そのころの僕は『新撰21』について若手のアンソロジーであるということとくらいしか知らず、もちろん選者側の細やかな気配りにまでは思いがおよばなかったけれども、しかし若手俳人を二十一人選出したとき、僕がその一人に選ばれてしまうというのはいったいどういう選考基準によるものなのだろうかという疑問があった。率直に言えば、僕がどうやら「新進気鋭」の俳人として通用してしまうらしい現在の俳句シーンの表現レベルの低さに驚いたのである。それは同時に、「俳句史」の現在を体現しようとする試みの一角に僕の俳句が置かれうるということへの無念の思いであった。むろんこれは謙遜ではない。すくなくとも僕にとって、「俳句史」を体現しうるアンソロジーの水準とは立風書房の『現代俳句全集』のそれにあって、『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』ではなかった。もっとも『現代俳句全集』は若手俳人を集めたものではないから、『新撰21』とは比較すべきではないのかもしれない。けれども、いやしくも「俳句史」を志向するならば、「志」としては水準をそこにおくべきだろうと思っていたのである。というのも、二、三〇年前に盛んに刊行されたアンソロジーはかなり玉石混交であったし、それだけに、真に「俳句史」を志向するアンソロジーの手本としては、不満の残るものであったのである。だから僕が『新撰21』に参加したのは、おそらく編集者の意図とはやや違うところ―おおげさにいえば、『新撰21』所収のものを含めて僕のそれ以前の作品と訣別するための儀式としてであった。

僕は『新撰21』から『俳コレ』にかけての三冊がもたらしたものが豊饒なものであったとは思わない。誰かが言うべきなのだ、『新撰21』も『超新撰21』も『俳コレ』も何と貧しいのかと。この貧しさの原因はいったい何なのだろうかと。そしてその貧しさは、いま僕たちが自恃することの困難に直面していることの証でもある。その困難はおそらく戦後派以降、決して少なくない数の俳人が経験したはずの困難であろう。

今後も『俳コレ』に続くアンソロジーが出るのであろうか。あるいは若手俳人の句集の刊行の波が押し寄せるのであろうか。いずれにしても、それは僕ら以前の世代―戦後派に続く世代のその次の世代、とでも言おうか―、そして僕ら自身の仕事への批評や検証とともに行われるべきものであろう。

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