詩の視点、批評の視点
いつも考えることだが、詩はどのような位置に立って書かくのか。そのことは、詩はどのような位置に立ち、読み、批評をするのかと言い換えることもできる。現在のように大きな危機に直面している時代には、特にこのようなことが問われるだろう。物事は単純ではない。ひとつの強制の批判は、時に方向の違うより大きな強制になりかねない。福田拓也はこの「詩客」の時評で、一方井亜紀、佐々木幹郎の言葉や、高橋睦郎の詩を取りあげ、以下のように書いている。
「日本はひとつ」、「がんばろう日本」、「絆」など大震災前であれば噴飯ものと言っていいような幼稚なスローガンが一定の情報操作力を発揮しているのは、情動発動装置としての「他者」の場に位置付けられた震災による死者たち・被災者たちからのあるいは彼らを経由しての攻撃可能性の脅威が常にあるからなのだ。したがって、これらのスローガンと震災を巡る詩的言説は同じ強制構造・言説装置を共有していると言っていいだろう。
あるいは、現在の原発事故や津波に関しての、隠蔽体質を語ったあと以下のように書く。
現代詩の世界でも、この殺人的動向に呼応・連動する形で、震災を巡る詩的言説とでも呼ぶべきものの有力な一傾向が、いわゆる「震災詩」やエッセー・講演などを通して、自身を肯定し続けている。
一見正しいように思えるが、その正しいように思えるところが、問題である。福田の批評対象のひとつである、一方井の言葉(『現代詩手帖』2011年5月号)を引用する。
3・11を機に詩が紡がれるとするならば、それは傷を負った人々のリズムによってのみであろう。本作は震災以前に書いたものだが、これがどのように読み手に届くのかは分からない。ただ、書かれた(そしてこれから書かれる)すべてのものはこの震災に耐えうる力を持たなくてはならないだろう。更に言うならば、遠いいつか、震災が忘れ去られてなお詩として機能するものでなくてはならない。
確かに「ならない」という言葉が多用された、命令調の文章である。とはいえ、あくまで一人の詩人の言葉であって、他者への強制力とは必ずしもいえない。もちろん無意識の強制力ということはあるが、このように考え書く自由はあり、それを否定することは、より大きな強制力となるだろう。福田の文章は自らの強制力を棚に挙げた上で成り立っている。
福田はいくつかの詩や言説を否定する一方で、高岡淳四の詩「目を瞑り耳を塞がないと前に進めなかったのです」(『現代詩手帖』2012年2月号)を、「「震災詩」の書き換え」であり、「命令を前にしての弁明」と批判性を高く評価している。福岡から「放射能が降り注いでいる川崎に」、諸々の事情で家族で引っ越さなければならなかったことを、ただ書いただけの、極めて散文性の高い詩だ。最後の数行を引用する。
川崎に降っているに違いない放射能が子供たちの健康に及ぼす害の
どちらが大きいか、考えるのも億劫になり
四月からの仕事が待っている場所にやってきました
妻と子供たちもずるずると付いてきました
目を瞑り耳を塞がないと前に進めなかったのです
福田は以下のように語る。
「震災詩」を含む震災を巡る詩的言説が抑圧しようとしていた「首都圏の居住に適さぬほどに深刻な放射能汚染という明白な事実とそれから身を守る必要性」という思考・推論を徹底的に言語化してしまっている。そして、そのことにより、「福岡から川崎に来たくらいのことで何を泣き言を言っているのか!震災による死者たち・被災者たちのことを考えよ!」という恫喝の声とその「哲学的」翻訳である「他者を尊重しつつ語れ、でなければ黙れ」という命令・非難の声を呼び起し、放射能汚染とそれを引き起こし引き起こし続けようとする日本的システムによる言論統制を露わにすることすら狙っている。ここに高岡のこの詩の卓越した悪意と批評性がある。
まず福田がなぜ「「震災詩」を含む震災を巡る詩的言説」が、現状を隠蔽してるのか、という前提が分からない。百歩譲ってその側面があるとしても、それを理由に「震災詩」として切り捨てるのは、あまりにも強引であり、書く自由を疎外するだけでなく、魂の復興をしようとする、多くの被災した者たちの声すら押しつぶしかねない。
また福田は高岡の詩を、抑圧された「思考・推論を徹底的に言語化」した、と評価しているが、高岡の詩が表したものは、すでに公然の事実であり、もっと大きな視野で見た批評にはなっていない。もちろん、高岡が批評としてこの詩を書いたかは、分からないので、その視点から批判することはできない。とはいえ、これを福田のように批評と捉えるなら、より奥の本質的な批評の視点が見えなくなる。
震災の関係で、私が最も国家を感じたのは、震災1年の慰霊祭だった。日の丸が掲げられ白木の大きな慰霊塔が建てられ、天皇、総理大臣と話をする。さらに、被災者代表の言葉も、一番自分の意識を消した、国の代弁のようなコメントを大きく扱う。このような国の構造こそ批判しなければならない。「震災による死者たちや被災者たちの置かれた「他者」の場は、恐らく第二次大戦時に「天皇」の置かれた場であろう。」と福田はいうが、そうならないためにも、死者の声の召還が必用なのだ。
一度、この時評でも取りあげたので、話が重なってしまうが、やはり福田が批評の対象とした、高橋の詩「いまここにこれらのことを」(『現代詩手帖』2011年6月号)を引用し、そのことを考えたい。
嘆きの声がつまるところ嘆く者を慰め
流す涙がとどのつまり泣く者を浄める
けれども私たちは慰まない浄まらない
なぜなら私たちの嗟嘆と抗議の終(つい)の相手は
私たち自身であり私たちの強欲と怠惰そのものだから
私たちは簡単に慰められてはならないだろう
たわやすく浄められてはならないだろう
私たちは蔑まれつづけ打たれつづけなければならないだろう
この引用部分は、生きている者だけでなく、死者の声を含んでいると見ていいだろう。しかし、ここで召還された死者は、批判する者と批判される者に分裂している。いわば、制度化された死者が、制度化されてない死者を批判しているといって良い。もちろん、この二つの死者は分裂してなく一体である。あるいは、私の内側の、制度化された死者と祀ろわぬ死者の声といえる。福田は「死者の召還」を強制力としてしか捉えていないが、反対に強制力を批判する力にもなる。そのためにも、批評も詩も、最も罪深き者、最も汚れた者の視点が必用だ。