戦後俳句を読む (24- 1) 近木圭之介の句【テーマ:魚】  / 藤田踏青

魚を競る銀河魚臭を発す   注①

テーマに添った句を探してみたが、数は少なかった。

さて掲句であるが昭和53年の作であり、夜明け前の下関あたりの漁港の風景とみるのが妥当であろう。そして宇宙の生と死を象徴する銀河が発する魚臭もその超越的存在としての神意でもあり、スケールの大きな句柄となっている。渡辺白泉に「ふつつかな魚のまちがひそらを泳ぎ」という句があるが、イロニーの有無と生死への言及の有無との差異が、大空、銀河への対峙の仕方の差異となっている。

また「魚」そのものを詠んだ詩も下記の1篇があるのみであった。

<魚と思想>   昭和27年作   注②

罐詰の魚には頭がない
脚ばかりを揃えて並んでいる
身うごきも出来やしない
窓のない部屋は真黒だし
思想は海に忘れて来た
だから罐詰の魚には頭が無い

この詩が発表された昭和27年までには、昭和23年に帝銀事件、昭和24年に下山事件・三鷹事件・松川事件が起り、昭和25年には朝鮮戦争が始まり、昭和27年には皇居前広場にてメーデー流血事件が起る等、当時の世相には不穏な気配が漂っていた。その閉塞状況が「罐詰」の状態であり、それ等を前に国民はただ黙って見つめているしかなかったのであろう。この詩の「魚」を「人間」に置き換えればそのような状況が把握されるのではないか。思想とは体系的にまとめられたものであるが故に、揃えて並んでいる脚が示すものは思想の喪失という不気味な重層感を伴なってくる。またこの詩から小林多喜二の「蟹工船」も想起されるのではないであろうか。過酷な蟹工船の中の未組織労働者の姿もそこに垣間見られる。

他の「魚」に関連した句(既掲出句を含む)を掲げておこう。

漁夫の手に濃い夜があるランプ      昭和30年   注①
漁村で酒と蟹を食べ自殺論聞きながら   昭和53年    々
 

戦後、不当に設定された李承晩ライン(注③)によって、日本海西部から日本漁船が締め出され、強引に拿捕されたりしていた。その様な状況を把握して前句を読めば、自ずからその「濃い夜」の奥深い何とも言えない哀しさと、チラチラと点る「ランプ」の儚さが伝わってくる。また後句は先にも取り上げたもの(第4回テーマ「死」)だが、何故か当時の漁村の風景やそこに生きる人達にはある種の冥さが感じられ、一抹の不安というか、哀しさが漂っていたように思われる。そして又漁村にはいつもと変わらぬ生活が巡ってくるだけの日々が・・・。それを圭之介は次の様な詩で捉えている。

<漁村にて>   昭和28年作   注②

朝になると黄色い太陽のまわりに
魚のうろこがあった
夜が来ると
乾しひろげた網の目の中に 星がたくさんあった
立ち並んだ家々の封建性が岬を突き出して波浪をさけている

今は昔ではあるが。


注① 「ケイノスケ句抄」  層雲社  昭和61年刊

注② 「近木圭之介詩抄」  私家版  昭和60年刊

注③ 李承晩ライン:昭和27年に韓国の李承晩によって一方的に、済州島付近から対馬海峡にわたる漁場での日本漁船の操業が禁止された。しかし昭和40年に日韓漁業協定の成立とともに撤廃された。

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