戦後俳句を読む (25 – 1)近木圭之介の句【テーマ:虫】/藤田踏青

蟻の笑いのない貌がはたらく地面         昭和28年    注①

笑いとは快感や満足を表現するものであり、大別するとラーフとスマイルに分類され、それは大脳皮質、特に前頭葉に関連しているそうである。それ故、哺乳類では無い昆虫のアリに笑いが無いのは当然であるが、社会性昆虫の代表格であり、肉食性動物ではアリが人間のバイオマスに匹敵するほどの大きなバイオマスを誇っているそうである。

そこで掲句だが、蟻と人間は背中合わせの存在とも受け取れ、戦後復興期に黙々と地を這う如くに働く人間の姿を髣髴とさせるものがある。人間の本質とは何か、蟻とはどう違うのか、との疑問を投げかけている様でもある。又、その類想の句もある。

 力をもって蟻がひく               昭和22年    注①

 心のきれつぱし黒く蟻になり地を這う       昭和25年     〃

蟻に投影されたこの緊張感がほぐれた処からカントの言う「笑い」(注②)が生まれるのだが,そこに至るまでに幾多の苦難があった。

圭之介は昭和51年10月11日、山頭火の三十七回忌に河童洞(自宅)に山頭火句碑(注③)を建て、下記の様な句を作っている。

月夜またしぐるるしぐれの碑なり         昭和51年    注①
冬蝶 碑を超えていった             昭和52年     〃
ほどほどに時雨す石ぶみの声す          昭和58年     〃

「しぐれ」はその句碑の作品に添うものであると共に、山頭火の代表作「うしろ姿のしぐれてゆくか」をも想起させる。また「冬蝶」は山頭火その人を指すと思われ、下記の句が下敷になっていると思われる。

冬の蝶々よ 旅立つという山頭火よ        昭和15年    注①

この句の前書きに「昭和15年1月12日、風来居(山口市)を引き上げ松山の一草庵へ移るという 一泊して去る」とあり、それが山頭火との永久の別れとなったようである。

白い蝶が 彼はひとりきりの昼にする       昭和25年    注①

これは山頭火が其中庵(小郡)に居た時の事を思い出しての句である。一匹の白い蝶は山頭火の孤独感を深めるものだが、圭之介は白い蝶を別の意味でも用いている。

原爆で死ぬとき紋白蝶空にびっしり見たい      昭和60年    注①

枯れまさる 両手どっと紋白蝶放ちたい         〃      〃

カタストロフィに際しての思いは紋白蝶の群舞する世界であり、それは既出句「失イツクシ。蝶残ル」(第14回テーマ「春」:平成6年作)へと収斂してゆく。

注① :「ケイノスケ句抄」   層雲社   昭和61年刊

注② :「笑いとは、緊張した予期が突然無になることから生じる情動である」
        カント “Kritik der Urteilskraft”

注③ :「へうへうとして水を味ふ」  山頭火
「音はしぐれか」        〃
上記2基の句碑(石柱)を建てる。

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