「超戦後俳句」のはじめに   筑紫磐井

「戦後俳句史を読む」が参加者の都合がうまく整わないところから、「超戦後俳句」に切り替えてみることにした。「超戦後俳句」とは超戦後俳句史の対象となる作品。超戦後俳句史とは、「超戦後俳句史を読む 序説――『新撰』世代の時代」で書いた通り、2009年以降の、言ってみれば『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』以後の歴史を言う。そんなものは歴史ではないという意見が序説の連載中にも盛んに届いたが、これが歴史にならない限り俳句に明日はないだろう。こいう強引な理由で、「戦後俳句を読む」の中に組み込むこととした。私の戦後俳句史はこんなになるからである。

①戦後派の作った俳句史
②戦前生まれのポスト戦後派の作った俳句史
③戦後生まれの作った俳句史
④『新撰』世代の作った俳句史

超戦後俳句史はこの④の俳句史を言うのである。これは俳句の現代史のように見えるかも知れないが、正確に言えば俳句の「現在史」である。ということで、私の「超戦後俳句史を読む 本編――『新撰』世代の時代」をここに掲載する。

さらに、現在史なのであるから、強引ついでに今ここで進行中の歴史を作ってもらってもいいのではないかと言うことで、新しい実験の場として『超超新撰』を始めることにした。「赤い新撰」という。

見ての通り、『新撰21』『超新撰21』は筑紫・対馬・高山が人選を行い、選ばれた者の自選作品に小論を執筆する論者を指名した。『俳コレ』は週刊俳句(上田・さいばら)が人選を行い、(自選はなく)選と小論を執筆する担当を決めた。「赤い新撰」本編は御中虫が取り上げる人選を決め(結果的には、「このあたしをさしおいた」といって『俳コレ』に入集させられないことを怒っていた通り自分で自分を指名したのである)、『俳コレ』風に、(自選はなく)選と小論を執筆する担当を決めた。それも何回続くか分からない。結局、御中虫の、御中虫による、御中虫のための「赤い新撰」本編となったのである。

だから何のことはない、『俳コレ』書評の赤い新撰「このあたしをさしおいた100句」を「超戦後俳句」に移籍したようなものである。だから題名も継続性を持って「赤い新撰」本編と呼ぶ。言ってみれば「このあたしをさしおいた100句」はこのための助走であった。「超戦後俳句史を読む 本編」もこれとあわせて併載する。引続き併せて読んでいただければ幸である。そして更に出来れば、超戦後俳人にもここに参加してもらいたいと思うのである。歴史は自分たちで作ったらいい。決して、先生や先輩たちに作ってもらうものではないのである。

最後に、本であったら帯を巻くところだがブログでは出来ないので、「赤い新撰」本編販売促進のために他のブログでの評価をここで紹介しておく。帯のつもりで読んでいただきたい。

上田信治:(『俳コレ』刊行)直近で第一句集を出されていたり、出ると分かっていた方の場合、その句集のダイジェストを掲載してもしかたがないと思って、入れられなかったりとか。御中虫さんがまさに、そうだったんですが、あの方の去年一年の活動を見ると、入ってもらうんだった!と、思います。

高山れおな:キーマンというかキーウマンは、『俳コレ』には入集していないけど、やはり御中虫なのかな。・・・あえて暴力的に予言するならば、テン年代の新世代の表現は、髙柳克弘と御中虫の2人を軸にした楕円状空間の中で展開することになるのかな。

(「週刊俳句」平成24年2月19・26日号<『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会>)

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