戦後俳句を読む (9 – 1) ―「精神」を読む― 上田五千石の句 / しなだしん

初蝶を見し目に何も加へざる     五千石

第四句集『琥珀』所収。

『琥珀』(*1)は、昭和五十七年より平成三年まで、四十九歳から五十八歳までの作品392句を収録する第四句集。掲句は平成三年作。昭和四十八年八月の「畦」創刊から十八年、いわば脂ののりきった時期、「眼前直覚」も熟成された時期といえるだろう。

著書『完本俳句塾 眼前直覚への278章』(*2)の「序にかえて」(*3)で五千石は「眼前直覚」について

「眼前」を尊重し、「即興感偶」「そのおもふ處(ところ)直(だたち)に句となる事」をめざしています。(中略)
「眼前直覚」はまた、昨日のわれは既に無く、明日のわれは未だ無い。
今日の只今われ在るのみ――という生き方へとつながっていくように思います。

と記している。

 また、著書『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*4)のなかで、「眼前直覚」に至る経緯について触れている。

 第一句集『田園』により第8回俳人協会新人賞受賞のあと、自意識過剰となってスランプに陥り、そのスランプは数年続く。その折、五千石はひとりで山を歩くことを思い立ち、実行する。ひたすら野山を歩くことによって無心になり、目の前にあるものを、事実をそのまま叙するという、単純な作句から自分を取り戻し、徐々に「眼前直覚」の境地に至ったのだ。

さもありなん。俳句に困ったら俳句を作る。自然のなかで嘱目をひらすら詠む。この至って単純なことが自分と向き合える方法なのだろう。

さて掲句。初蝶の美しさを映したその目には今は何も映したくない、という明快な句意である。「いま・ここ・われ」がストレートに形になっている。このストレートさがこの句の強さであり、真っすぐさは五千石の俳句への熱い思いと詩心の象徴である。

この句の真っすぐさこそ、「眼前直覚」であり、五千石の俳句の精神そのものといっていいだろう。


*1 『琥珀』 平成四年八月二十七日 角川書店刊 シリーズ現代俳句叢書3

*2 『完本俳句塾 眼前直覚への278章』 平成3年8月30日 邑書林刊

*3 「序にかえて」は筑摩書房『俳句の本』「題二巻 俳句の実践」昭和55年5月20日初版より

*4  『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊

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