戦後俳句を読む (13 – 2) ―「冬」を読む― 上田五千石の句 / しなだしん

剥落の氷衣の中に滝自身     五千石

昭和五十年作。第二句集『森林』所収。

見立てと擬人化のオンパレード、かなりしつこい句ではある。 

凍滝にかかる「剥落」は見立てであり、「滝自身」は滝の擬人化と言えるだろう。そして極めつけは「氷衣」だ。これは「ひょうい」と読ませる造語らしい。ただこの「氷衣」、強引な語彙ではあるが自然に受取れなくもなく、音では「憑依」も感じさせて、この句では面白い効果を生んでいる。こういうしつこい句、私は嫌いではないのだ。

この句は、冬の滝を詠んだ連作と思しき四句の最初の一句で、他に、

凍滝の膝折るごとく崩れけり
氷結の戻らねば滝やつれたり
涸滝をいのちと祀る三戸はも

が続いている。最後の句は「涸滝」であるから、一連とは云えないか―。

五千石の句集には地名をはじめとする前書のある句が割合多く、この『森林』もそれに洩れないが、掲句を含む連作には前書は無い。『上田五千石全句集』(*2)の「『森林』補遺」のこの時期には当該句の掲載がないことから、この関連はこの四句がすべてと推測される。このことから、これらがどこで詠まれた句かは定かでなく、吟行の際の即吟ではないように思われるが、「凍滝」等の題詠だという証拠も無い。

この句の制作年、昭和五十年は、昭和四十八年にはじまった「畦〈通信〉」が正式に「畦」として月刊誌となった年にあたる。言えば「畦」が活発に活動していた時期であろうし、五千石自身もスランプから脱し、吟行やもちろん題詠句会などに精力的に動いていた時期であろう。この精力的な時期に生まれた、精力的な句、ということになろうか。

以前、私は北海道知床で、素晴らしい凍滝を見た。そのとき、自然が創り出した造形を前に私は言葉をなくし、ただの一句も詠むことができなかった。掲句はどこの凍滝か不明だが、その荘厳な凍滝の様をまざまざと思い起こすことができる。

五千石の句としてはあまり表に出てこない作品であるが、冬の「凍滝」の句として、私の愛誦句となっている。


*1 『森林』 昭和五十三年十月十日 牧羊社刊

*2 『上田五千五全句集』 平成十五年九月二日 富士見書房刊

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